みんな歯車

山田五郎さんだけではなくて、僕の若い頃はみんなそうだったのですが、「歯車」ってやつ。

例えば社会の歯車ってやつ。

今ではこの言葉に強烈な違和感があるのです。

もっとはっきり言うと、

だと思うのです。

実は僕も若い頃は歯車になんかなるもんか!と思ってました。みんなそれぞれ個性があって、自分の人生がある。なのに歯車ってなんだよ!って思ってました。

銀河鉄道999劇場版では星野鉄郎はネジにされそうになります。メーテルは強い男性を探し、そして機械化母星を支える部品にすべく、旅をしていたのです。

いい作品でした。今でもそう思います。

けれど、それでも今の僕は違和感を感じます。やはりそれはおかしいと思います。

断言するなら、人はいつの時代であっても、何かの歯車になるのです。いや、何かの部品になるのです。良くも悪くもです。

   

僕は以前にも書きましたが、古代史が大好き。しかしながら、古代史に出てくるのは本当に一握りの人間のみ。名もなき一般人が当時だってたくさんいたはずですが、そういう人たちは全く出てきません。

そこで僕は皆さんに聞きたい。

僕はそうは思いません。それはいいことでも悪いことでもないと思います。上記動画で言われてますが「気持ち悪い」とも思わない。一般人が何を思い、どう生きたのかは分かりませんが、別に歯車は歯車だろうと、そうだろうと今は思います。それが普通なんだと。

     

僕はこう考えています。

確かに後世には一般人一人一人の物語は残らない。単なる歯車でしかない。

けれど、

後世に名を残す人は

と。

はっきり言って、今の政治家はクソみたいな輩ばかりですが、それは「国民が選んだ」訳で、つまりは国民の意思を反映しているというのが僕の揺るぎない意見です。

はっきり言って、

古代に生きた人たちの考えは、良くも悪くも今に名前が残る人たちを見ればおおよそわかる。一人一人はネジなどの部品であっても、それら部品で構成されたものはその時代を反映している。

僕はそう思っています。

それと同じことですね。そういう意味で、後世に名が残る人たちは皆歯車があればこそ後世に残るのです。僕ら歯車はいわば、

ダメな部品ばかりだから悪い名を残すのですよ。はっきり言って。綺麗事ばかりを偉そうにぬかすバカばかりだから、後世にばかな人物の名が残るのです。逆に言うなら、

個性だなんだと綺麗事を言ったところで、そんな部品は欠陥品で、なんの役にも立ってないどころか、使われないで捨てられて本当に何も残らないで終わりです。

ってことです。

いいんです、歯車で、ネジで。

素晴らしい歯車やネジで構成された方がいいものになるに決まってるのです。

はっきり言って、ハーロックも鉄郎もある意味でネジや歯車。

しかし、彼らもまた、歯車やネジで構成されたシンボルなのです。