東日本大震災を「語り継ぐ」なんてナンセンス!

東日本大震災に関しては、僕にもそれなり以上に思い入れがあるのです。僕の心は今でも青森県人。そして東北には知り合いがたくさんいたのです。今でも行方不明な方もいるのです。

色々と思うことがあるのです。

だからこそ、

語り継ぐ

なんて綺麗事には大反発してしまいます。

自意識過剰な輩が思い入れたっぷりに、しかも

のです。目に見えています。もちろん、そのような語りにはなんの意味も価値もありません。

語り継ぐ

っていうのは所詮、伝言ゲーム。

僕ははっきり言って、そういうのは大っ嫌いなのです。

     

さて、僕は前々から思っているのですが、語り継ぐなんて綺麗事よりももっと効果的で、けれども結局は語り継いでいけるという方法があるのに、なぜそれをしないのかと、いつも疑問に思っているのです。

しかもこの方法。自動的に勝手に伝わり、気になって調べたら詳細がわかるという、実にフレキシブルな方法なんです。

それは何か?

というと、ズバリ

というもの。オブラートで包んだような綺麗な地名にするのではなく、例えば大波町(かつてここで大波があった)とか、一本杉(杉の木が1本だけ津波に耐えた)とか、人無一丁目(多くの人が亡くなったところ)とか。

なんでこんな地名なんだろうって調べてみたら、かつてここでは大きな地震で多くの人が亡くなったということがわかった。そうか、そういうところだったんだなぁ。

これこそが語り継ぐということではないかと思うのです。そこには脚色がなく、その分よりリアルに伝わってくるものがあるのです。そういう地名をつけたということ自体が、

って思わせるのです。あえて物騒な地名をつけることで、未来の人が過去に思いを馳せることができるのです。

これこそが語り継ぐってことなのでは?

と、僕は思います。