ケイト・ブッシュ「神秘の丘」がメガヒットだとは知りませんでした

彼女こそ本物の”アーティスト”だと僕は思っているのですが、大好きすぎて以前にはこんな記事まで書いてました。

しかし、そんな僕もこのメガヒットについては全く知りませんでした。とあるロック雑誌を見ていて知ったのです。

もちろん神秘の丘(原題 Running up That Hill (A Deal With God))の収録されている「Hounds of Love」は持ってますし、散々聴き倒しました。そして、その圧倒的な世界観と魅惑的な歌唱力に酔いしれたものです。

余談ながら、彼女のすべてのアルバムを通した世界観は概ね「夜」のイメージなのですが、この「Hounds of Love」に関しては日中から夕方に差し掛かる頃という感じもします。それは単純にアルバム3曲目のThe Big Skyが原因なのかもしれませんが、Running up That Hillもやはりそんな感じがするのです。

なんにしても、世界が彼女に追いついたのか、単にネットフリックスの力なのか、あるいはその両方なのかは知りませんが、最高のアーティストがちゃんと評価されるのは素晴らしいことです。僕もこのメガヒットを知ってから、もう何度聴いたかわからないこのアルバムを再度聴いています。これを書きながらも聴いてます。やっぱりいいなぁ。

   

僕自身、70年代80年代が大好きです。まさに珠玉の作品が文字通り「キラ星の如く」誕生しました。僕のそれなりに多感な青春時代とも重なり、だからなのでしょう、今でも70年代80年代の作品こそが最高なのだと思ってしまいます。実際に今もその頃の作品ばかり見ています。一方を持ち上げるために一方を腐すのはどうかと思いますが、90年代以降の作品は僕には合いません。どうしても二番煎じで陳腐に感じてしまいます。

だからなのでしょう。90年代になるとフィクションそのものに全く興味がなくなってしまい、なのでその頃に作られた作品はたとえ凄い評価だとしてもそもそも知らないものばかりです。それに全く興味も湧きません。名前を出すのは申し訳ないのですが、たとえばエバンゲリオンとか、おそらく一生見ることはないでしょう。エバンゲリオンがチープだとは思わないのですが、僕には合わない、どうしてもそう思ってしまうのです。音楽も映画も漫画も小説もドラマも、90年代以降の作品に対しては本当に興味がなくて、我ながらどうしてこんなに興味がなくなってしまったのか、全くわかりません。

それよりも事実の方が面白く、つい最近まではひたすらドキュメンタリーを楽しんでいるような状態だったのです。

しかし、だからなのかどうなのかはわかりませんが、80年代回帰というのは知りませんでした。そして驚いています。

いや、確かにその年代こそが最高なんだとは思うのですが。

      

70年代80年代の作品は今の作品のように無駄にいちいち感動させようとしないし、大声で怒鳴れば演技って感じでもないし、作品内容自体も読者や観覧者を突き放すものも多いし、余計な説明もしないしで、今の人たちが本当に楽しめるのかなという疑問があります。

プラス、当時の技術は今のそれに比べたら圧倒的に陳腐なわけで、画面も綺麗じゃないし、そんなものに一体なぜ回帰しているのかよくわかりません。

僕には前々から違和感があってたまらなかったのですが、たとえばyahoo記事とかYouTubeのコメントなどを見てるとやたらと「泣きました」ってのが多くて、僕はこういう人たちとはなるべく接したくないと本気で思うのですが、そんな感情の持ち主の方々が70年代80年代の作品を楽しめるのだろうか?という疑いも持っています。

ちょっとの変化でいちいち泣くような人たちだからこそ簡単に心が折れるとか言うのでしょう。ちょっとのことでいちいち傷つくのでしょう。すぐに泣き喚き、感情的になり、少数派を気取って自分の気持ちを解れと押し付ける。すぐに差別だなんだと暴れる。悪口ばかり言い続ける。細かいことばかりにこだわり対局を無視する。マウントをとりたがる。そういう方々のメンタルは90年代以降の作品が影響しているのではないかと思う僕には、とてもじゃないけど、相手を突き放すような70年代80年代の作品を楽しめるメンタルなどないように思えます。

それとも、さすがに心のガラスがあまりにも薄すぎて、みんなその薄さにうんざりしているのかもしれませんね。

あるいは屁理屈小理屈があまりにも多すぎる現代より、グダグダ言うな!ダメなものはダメ!と突き放す70年代80年代なりの割り切りにある種の清々しさを感じるのかもしれません。

とまあよくはわかりませんが、偉そうに書いてみました。温故知新ってことで、いいものが評価されるのはいいことです。