ERに見た等身大のアメリカ

ERというのはアメリカのドラマで、日本では「ER 救急救命室」というタイトルでNHKで放送されていました。
文字通り、衝撃を受けました。
そしてあまりにも面白くて毎週文字通り釘付けでした。
特にシーズン4あたりまでは熱狂的でした。それ以降はちょっと派手さに舵を切ったようで、恋愛に重点が置かれていったような気がしますが、シーズン4あたりまではもう本当にある種のドキュメンタリーだと思える素晴らしい完成度でした。
何がそんなに素晴らしかったのか。熱狂したのか。
というと、まずは「いい意味での説明完全放棄」。専門用語がばんばん飛び交うのに視聴者に一切説明しないのは、当時としては画期的でした。
なんかよく分からないけど、こういうことしてるんだ。
というか、むしろ説明しない方が専門的で本格的!
なんか、見ている僕ら自身が病院の先生の説明を受けているような臨場感がありました。
実際、医療関係者がしっかり細かくチェックしたり演技指導していたそうです。また各種小物や小道具、レントゲンに至るまで本物、あるいは本物に限りなく似せたものを使っていたそうで、僕が何かで読んだ記憶では、本物の看護師まで演者として出演していたそうなので、何から何まで手を抜かない本格志向なのです。個人的には心臓マッサージだけは「本当にしたらむしろまずいので」演技してるなぁってわかったのですが、あとはもうただただすげーって思って見てました。そういえば日本語吹き替え版の台本も日本の医療専門家が監修してましたね。
「いい意味で説明放棄」は医療の専門用語のみならず、ドラマ自体もそう。いちいち経過とか内面描写なども一切しないのです。ただただその時その場であったことを淡々と記録している。そんな感じでドラマが進んでいくのです。つまり「ドキュメンタリーを見ている気分」。本当にこういう感じなんだ。アメリカのERってこんな感じで本当に大変なんだと思わせてくれました。
けど、それなのに登場人物に深く感情移入できるのだからすごい。僕はやっぱりドクター・グリーンが好きでしたが、ドクター・ベントンとドクター・カーターの絡みも好きでした。
けど、僕がこのドラマを見て一番驚いたことがあります。それは、
アメリカ人も僕らと全然変わらないんだ
ということ。僕はそれまでものすごく誤解していたのです。アメリカ人はみんなマッチョで勇敢でヒーロー志向。明るく派手好きでジャイアンみたいに横暴。
けど、それはおそらくそれまでのメディアの伝え方に問題があったのでしょう。反米志向は僕の世代でもまだものすごく吹き荒れていましたから。
けど、ERを見ていると、本当に全く普通の人だらけというか、ローンを抱えて苦しんでいたり、家庭内の問題を抱えて困っていたり。忙しすぎて寝る暇もなかったり。いい先輩に嫌味な先輩。社内恋愛。失敗したり笑ったり怒ったり。権謀術数までしっかり描いてたり。医者が認知症になってしまい医者であることを辞めたなんてエピソードもありました。ターミナルケアや医療訴訟の問題も普通に描いています。
決してマッチョヒーローではなく、どこにでもいそうな市民の悲喜こもごも、そこには人間模様があったのです。
元々僕には反米思考は1mmもありませんでした。誰だって間違うし、どこの国だってそう。けど、それをリカバリーできるのがアメリカだと思ってました。アメリカのすごいところはまさにそこだと思ってました。失敗しても必ずそれを糧にしてしまう。引き摺らない(ちなみに今のLGBTだって、きっとアメリカならリカバリーすると僕は思っています。そのわかりやすいシンボルがトランプさん)。
だからこそアメリカすげーって思ってたのです。今でも思っています。
けどERを見たら、そんなアメリカ人も普通の人たちなんだ。みんなあれこれ悩んで生きてるんだって思ったのです。
ERにヒーローは出てこないし、ドラマチックな展開もありません。むしろあっさりすぎるほどあっさり人が死んだりしています。病気や怪我の前にはみんな無力。周りに流されたり、どうしようもない出来事に翻弄されたり。家族の死に涙する残された家族の姿もちゃんと(大袈裟にではなく淡々と)描いています。
だからこそ僕は感動しました。言葉は違っても、どっかのサヨクが反米を煽っても、彼らの多くは普通の人たちなんだと僕は思っています。みんな一生懸命生きてるんだと。
決してディスるわけではないのですが、日本の医療ドラマだと、とことん感情移入させようとしますよね。それでも患者を助けたいんだ!的な。
ERにはそういうものは全くありません。仕事をこなす。まさにそういう感じ。なのに感動するのです。
決して説明しない。大袈裟にしない。等身大の人たちしか出てこない。
だからERにハマったのです。最近また見直して、感動して泣いています。