神の視点になりたがる人たち
僕は歴史は大好きですが、それは
こんな古くから人が生きてたんだ。
あれこれあったんだ。
と思えるからです。科学的知識が未発達なのにも関わらず、当時のレベルで合理的な判断をしている偉人の業績などを知ると、本当にすごいと思ったりもするし。
しかし、僕が好きな歴史は基本的には古代。年代的に古ければ古いほどロマンがあってハマるのでして、近代の歴史に関しては実はかなり淡白です。端的に言うなら
ほとんど興味がない
とすら言い切ってもいいくらいです。理由はさっきとは逆で、年代が近いからというのが相当大きいです。特に大東亜戦争あたりの歴史に関しては無知と言い切っても差し支えないレベル。
そもそも僕は戦争が嫌いでした。
どのくらい嫌いかというと、映画が大好きなくせに戦争映画だけは見事に避けていることからも容易に判断できることでしょう。僕は戦争映画が大嫌いなのです。名もなき人が大勢死んでいくのは嫌なのです。主人公補正もどうしても気になるし。名もなき人にも人生がある。学生時代の僕はずっとそう思っていました。死ぬにしてもホラー映画のように「スポットライトが当たる」様にして欲しいのです。もちろん大勢の人が死ぬ戦争映画で、一人一人にスポットライトを当てていたのでは映画になりませんが。
僕はホラー映画が大好きでしたが、それは逆説的な意味で「ちゃんと死ぬ人にスポットライトが当たる」からだと言えなくもありません。にしても殺されるのは悲惨ですが、殺人鬼や悪がちゃんと裁かれるのがいいというのもあります。
話をもとに戻すのですが、近代の歴史、特に大東亜戦争のあたりの歴史にほぼ興味がないのは戦争以外にも理由があります。
語りすぎる人があまりにも多いのです。
歴史にイフはないと言いつつ、イフを言いたがる人は後を絶ちません。
あの時ああしてればよかった。軍が暴走しなければよかった。満州でやめとけばよかった。ちゃんと講和できてればよかった。
あの人物がいなければ、あの人物がこうしていれば。
新事実はこうだった。本当はこうだった。実はあれは間違っていた。
僕は思います。
で?
だから何?
断言しておきますが、近代の歴史をぐちゃぐちゃ言いたがる人ほど
自分が神様にでもなったかのような錯覚をしている
のです。僕はそれが大嫌いです。歴史は歴史。いくら検証しようと、正しい事実はこれだ!と宣っても、今のこの世界は変わらない。勘違いも含めて今のこの世界があるのです。
今のこの情報が「当時」手に入ったら、状況は大きく変わっていたことでしょう。しかし、当時は当時。その時代のその人たちがその時代なりの状況で最善を尽くしていた。僕はそう思っています。当時の人は神の視点など持っていません。その時代のその状況で手に入る情報を使うしかなかったのです。
それを、今の人間が偉そうにあれこれ言うのは間違っているし、腹が立ちます。
テメェがその当時を生きてみろよ!と思います。
どうせ何もできないくせに。
テメェーにできるのは、安全な現代のこの状況で、偉そうに過去の激動の時代をあれこれこねくり回すことだけだろうと。
僕にとって大事なのは「今」です。この今のために過去の歴史から学ぶのは当然ありなのであって、だから嘘の従軍慰安婦や嘘の南京事件を暴くのは正しい行為です。今につながるからこそ正しい。今やることで、今が過去になっても悔いが残らない。
しかし、大東戦争当時のアメリカの陰謀だのGHQの洗脳だのっていうのは、だから何?でしかありません。満州だって当時はそれが正解だったのです。だからこそやったのだし。今もアメリカは日本に対して何かの陰謀を企てているのですか?洗脳しているのですか?してないでしょ。
当時は当時。今は今です。
今を生きる全ての人は、今のこの状況に対しては神の視点は発揮できない。
けど、過去の時代、特に近代に対しては、現代にも近いし、神の視点も持ちやすい。
だからこそ近代史が好きな人って
うんざりするほどたくさんいますよね
僕はそういう連中にうんざりします。そして言います。
あんたは神様ではないよ。勘違いすんな!