出会いは「縁」と「運」

男女の出会いは本当に縁と運次第だと思います。

コントロールできないのです。

僕は何度か書いてますが、全く運なんてありませんでした。今の連れと出会うまでは全くなし。モテたこともないし、なんなら女性との会話なんてこれまでの生涯全部合わせても1時間したかどうかぐらいのレベルです。

確かに結婚はしましたが、もうあまり触れたくないレベルというか、相手があることなのでここで一方的に書くことは控えます。一言で言うなら「辛かった」です。

運がなかったのはさておき、では縁もなかったのかというと、実は若い頃に見合い話が何度かあって、けど僕は全て断りました。そういうもんじゃないだろうってことで。僕も若かったんですね。今なら「会うだけでも会えばいいじゃん」と思います。

縁に関しては、自分から壊しにいってた気もしないでもないです。内面の世界は広くて、本、映画、ドライブが本当に楽しくて、孤独な作業といえば聞こえはいいのですが、ある意味自分の世界に引きこもりっぱなし。人といるより自分の内面世界で、広大な空間を旅してる方が楽しかったのです。それに僕は基本的には女嫌い(同性愛とかそういうのではないですよ。女性は大好きです。女が大嫌いってだけで)。

そんな僕だったので、そりゃあ縁も寄り付きません。

    

知り合いの姉がマッチングアプリで知り合った方とお付き合いを始めたという話を聞きました。お互いに40歳を超えていて、そのお姉さんは相手に夢中。それまではうわついた話が全くなかったそうなので、もう嬉しくて嬉しくて仕方がないというはしゃぎっぷりだそうです。

連れに話したところ

「それまで遊んでなかったから、その反動なんじゃないかな」

とのこと。僕はちょっと違うふうに思っているのですが、今の世の中における恋愛はイベントではないでしょうか?

出会って、デートして、一夜を過ごして、結婚して、子供を作って、

的な流れはイベントじゃないかと思っているのです。ロールプレイングゲームと言い換えてもいいですよ。なんか人工的なんです。ほぼ必ず「金が絡む」のもいかにもイベントですよね。嫌だったらあっさりやり直してって感じも。課金しないとステージクリアできない的な感じも。

握手会なんて、あんなものの何がいいのか正直全くわからないのですが、せめて異性の手を握りたい!という思いをイベントにしただけに見えます。切実な人もいれば、どうでもいいという人もいるでしょう。

     

イベントやゲームには偶然という要素はほぼ絡みません。細部まで計算していることがほとんどです。つまりは人工物。そこには運も縁もありません。しかも金がむやみやたらとかかります。金がないとイベントにもゲームにも参加できない。

けど、それでもそれに頼りたいという人もいるわけで、逆にいうなら、出会いは本当に縁と運がものすごく大きい。そして水物なので、いい出会いかどうかも縁と運次第なのです。

みんながみんな運に恵まれるなんてことはない。けど、今の世の中では「権利幻想」が蔓延っていて、自分には「権利がある」と半ば本気で思っていたりします。どこかに出会いがあるはずで、どこかに赤い糸で結ばれている人がいるはずで、自分には幸せになる権利があると思っているのです。

ありません。そんなもの。

縁と運次第。点と点なのです。滅多につながりません。重なり合いません。

生き方も関係ないし、能力も無意味。親ガチャなんて言葉が流行りましたが、まさにガチャガチャなのです。運を引き寄せるとか縁を結ぶための方法とか、努力をしたらあるいは叶うかもしれませんが、かなわないかもしれないのです。

でも、それが嫌だから、金で解決したがるんですよね。

     

世界の一つだけの花って歌がありましたが、あれ、ものすごい歌ですよね。

確かにみんな一つ一つ違う花ですが、一生懸命育てたからといって育ったからといって、

愛されるとは限らない

って部分をおそらくは意図的に無視してるのです。小汚いみっともない花なんて誰も買わないでしょう。そもそも無視するでしょう。一生懸命に生きて、それでせっかく咲いても、100人いたら99人までが無視する。

世界に一つだけの花なのに。

   

出会いは縁と運。

僕はつくづくそう思います。

そしてみんなに平等ではないと断言します。著しく不公平かつ不平等なのです。

僕は今の連れと出会わなかったら、多分死ぬまで一人だったでしょうね。

はっきり言って、今はある種の勝者の余裕があるので、だからこそ言い切れたりします。相手を本当に値踏みしない女性がいることには今でも驚嘆しますし、しかもそれが自分の連れだと思うと、信じられないくらいの大幸運だと神に感謝したいくらいです(基本的に無神論者なのですが)。

僕はイベントにもゲームにも全く参加しませんでした。金がかかることは基本的に嫌いだし。笑

それなのに、それでも物語みたいな出会いがあったのです。自分でも驚きですが、けどこれも縁と運。

どうせならもっと早いうちに出逢えばよかったのに、と思うのですが、実はそれも縁と運。

タイミングが悪かったら出会わなかったでしょうね。

  

僕のように底辺層で尚且つ適当な生き方でも最高の女性と出会ってしまった人もいれば、年収何千万で社会的地位もあるのに出会えない人もいるのでしょう。

僕には何千万の年収はありませんし、社会的地位もありません。

もちろん地位も名誉も金も欲しいですよ。当たり前です。

けど、それもやっぱり縁と運。

自分の力ではどうにもなりません。頑張っても頑張らなくても、縁と運次第です。手応えとしては頑張って得たら達成感があるとは思いますが、中には生まれながらにいい家の坊ちゃん嬢ちゃんって方もいるわけで、やっぱりこれも縁と運。

   

縁と運は点です。ものすごく小さな点。

これが繋がるか、あるいは重なるか。

多くの人は、繋がる、あるいは重なるようにと強く願うわけです。そしてそのための方法があるなら誰だって知りたいですよね。けど、そんなものはありません。マニュアルなんてないのです。金を出せばいいというものでもない。

けど、それでも実際にはつながる、あるいは重なることもあるのです。

というわけで、ここまで読んできて、

じゃあ努力しても無駄だ

と思うのか、それとも

それでもやれることを一生懸命やるんだ

と思うのか。

運命の分かれ道って、案外そういうところにあるんじゃないかなと、僕は思います。