いい人「わしが今の中国を育てた!」
いい人になってはいけないのですが、いい人になりたい人はたくさんいます。
まさにこれ。
これの繰り返しが、異常な国家中国を作り出してしまったということに気付かない。いかにもいい人の言動そのものなのです。
まずは相手を、それも等身大の相手を理解しろよと。
笑
ヤクザが猫を撫でたら、それにまんまと引っかかるタイプなのです。
僕は上記の方々を揶揄する気にはなりませんし、そういうつもりもありません。まさに典型的な「いい人」なので紹介したまでで、こんな方々が結果として中国を歪で異常で歪んだ国にしてしまったのです。
少しだけ説明します。
相手を等身大に見ると、実は全てが相対化されてしまいます。ヤクザが猫を撫でる。案外いい人なのかも?ひょっとしたらひどい親の元に生まれてきて、苦しい人生を送り、仕方なくヤクザになったのかも。そう考えたら、彼の人生ってなんなんだろう?可哀想に。他のヤクザも案外そうかもしれない。ヤクザなんてと忌み嫌ってきたけど、彼らには彼らの人生があるんだろうなぁ。とすると、これはもう一概にヤクザを悪とは言い切れないなぁ。
笑
もう哀れを通り越して馬鹿丸出しのこの発想には嫌悪しか感じませんが、でも、そう考える本人は「いい人」なのです。だって相手を思い遣ってるのだから。
ところで実はこれ、ちょっと視点を変えるだけで、これとまんま同じ話になってしまいます。
正義のためならあらゆる暴力が許される
どういうことかというと、実はこれも相対化なんですよね。暴力はいかなる場合でも容認できないはずなのに、相対化することで例外を作ってしまうのです。例えば「人権のため」「権力者を倒すため」「革命のため」という綺麗事を言って行う暴力はまさにこのパターン。安倍元総理を暗殺したキチガイを称賛したキチガイどもがまさにこのパターンなのです。
ヤクザが猫を撫でたらいい人に見えるように、何かの綺麗事を言ったら何をしても正義になってしまう。
どちらも異常なのですが、いい人はこれに気付かないし気付けない。
自分を「いい人」にしたいがために、自分はいい人になりたいがために、歪んだ認知をしてしまうのです。
はっきり言って、ウイグル民族に対してジェノサイドを行っているキチガイ野郎だって、家に帰れば良きパパでしょうね。家族を愛し、地域を愛し、なんなら中国を愛し、社会のために働いている人の方が
圧倒的に多い
と思いますよ。いや、むしろ断言してもいいです。彼らの多くはいい人なんです。
じゃあ、そんないい人がやっている民族大虐殺を許せるのか?
もちろん許せない。
これが是々非々です。等身大の人間像が見えたらなんだというのでしょう?それで罪が消えるとでも?
ダメなものはダメ
例え普段はいい人であっても、ダメなものはダメなのです。
それなのに、綺麗事で飾って、等身大だのと知ったふうな口聞いて、相手を理解する僕ちゃん正しいなんてやった結果が今の中国なのです。
ちなみに、いい人なんて誰でも簡単に装うことができます。むしろ最初は
「誰だっていい人」
なんです。その方が近づきやすいから。
相手を籠絡する最良にして最大の方法は”いい人”になって近づくこと。
柄の悪い人間に自ら近づくバカなんて滅多にいませんよね。逆にいい人であればあるほど寄って行きやすいものです。実に簡単。ハニトラと効果は一緒で、その威力は強力で効果も絶大なのです。
相手が本当にいい人なら、悪いことに対して敏感なはずで、だから頑固でとっつきにくい面が必ずあります。是々非々で物事を考えたら、必ず頑固になってしまうからです。
相手の身になって、とか、ありもしない行間を読んで、とか、いい人を装う人は思いやりという名の忖度が異様なまでに得意ですが、そうやって自分がせっせと譲歩して相手に忖度をしたところで、相手はなんとも思っていません。
だからやりたい放題になってしまうのです。
ダメなものはダメと100%言い切り行動し、そして
相手に考えさせる
これが本当のいい人。僕はそう思っています。