婚活市場では1円の価値すらない僕ですが、

いわゆる婚活市場では、僕はなんの値打ちもありません。

10段階の評価制にしたら、僕などよくても1、基本は0です。

そもそも婚活市場に上がることすらできないでしょう。

収入は微々たるものだし、元々大したことのない見た目が近年ますます大幅劣化。加えて友達もいないしこれといったスキルもありません。綺麗事も言わないし、無駄な愛想もない。取り柄なんてあるとすれば頑固親父であることだけ。

これでは誰からも相手にされません。

自信を持って断言できます。

そんな僕ですが、では現実はどうかと言うと、とても若く(驚きの年の差)素敵な女性の連れがいるのです(もちろん3次元)。誤解なきよう書いておくのですが、お金が絡んだりとか、あるいは無理やりなどいったことは一切ありません。本当は金があるけど隠してました!なんてこともありませんし、半ば強引に接した結果の出来ちゃった婚ってやつでもありません。そもそも結婚してませんしね(事実婚だけど)。

確かに10年くらい前までは(確かに数年間だけ本当に結婚していた時もあったのですが)やっぱり全くモテませんでした。まさに空気でした。多分僕は女性たちの世界の中には存在していなかったのです。当時の僕は実際、本当にどの女性からも相手にされませんでしたしね。もちろんこちらからも近寄りませんでしたが。間違った年代に近寄ったりでもしたなら、今頃僕は塀の中(今の世の中、通報されたら冤罪だろうとなんだろうともうおしまい)。見た目だって今と大して変わらず冴えない感じで、なぜ一度だとしても結婚できたのかすらいまだによくわかりません。イヤ本当はわかってますが、相手がある話なのでここでは伏せておきます。

救いというか、幸いだったのは、僕は女性にモテようがモテまいが全然気にしてなかったということです。むしろ一人であることを本当に楽しんでいました。僕は孤独が大好きで、今でこそ大流行りのソロキャンプや車中泊をすでにその当時散々楽しんでいたのです。読書だ映画だと内面の世界に没入することを心から喜んでいたのです。なにも寂しくありませんでした。孤独を感じたこともない。むしろ自然はあちこちにあって世界は広く内面世界はあまりに豊かでした。

この広い世界を死ぬまでにどれだけ体験できるのだろう?

僕はずっとそのことばかりを思っていました。

今はどうでしょう?まさにある意味卑怯千番。とても若い素敵な女性の連れができてしまったのです。しかも声をかけてきたのは向こうから。デートに誘ってきたのも向こうからです。最初はメール。次はドライブ。そして少ししてから「部屋に行ってもいい?」ぜーんぶ向こうからです。

漫画みたいな展開。

金がないので見事に割り勘。二人用の黄色い財布を作ろうと提案したのは僕ですが(今でもその財布が基本)、それ以外はうんと年下の彼女が主導権を握ることが多いです。キャンプや車中泊こそしてませんが(したいねといつも話しあっています)定期的に旅行しています。お互いに趣味は違えど、物の考え方はかなり似ていて、細かいところでお互いに本当にしっくりくるのです(と僕は思っています。連れもそう思っていると僕は思っています)。まさに運命の出会いってやつですね。

    

さて、今ならはっきりと断言できるのですが、僕は勘違いしていました。

そして多くの人もまた勘違いしていると思うのです。

結局は愛なんです。愛。

何がどれだけどうであろうと、男女は結局愛。愛ががなければだめなんです。

そして愛は、お金の量とは無関係で見た目とも無関係。なんなら性格とも無関係。

愛は直感(力)なんだなぁと。それとタイミング。

   

このブログでは何度も書いているのですが、結婚に必要なのはお金ではありません。お金は人生に必要なもの。だからお互い様です。それどころか、なんであってもお互い様が基本。当たり前ですよね。これができないから上手くいかないのではないでしょうか?特に多くの女性にありがちな相手を減点するやり方はそれ自体がすでに相手に対してマウントをとっている状態なのであって、これでは何事も上手くいくはずがありません。

ちびまる子ちゃんから既にそうなのですが、本当に女性は減点方式、相手を値踏みするのが大好きですよね。そんなのしてない!なんて言う女性であっても、無意識的に減点してます。女らしさを否定する女性ほど男らしさを求める矛盾のあまりにも多いことといったら。

外見的にはいい人ぶっていても心の中ではやめられない。自分は価値があるのだとそう思いたいのではないですか?

けど、それじゃあ何事も上手くいくはずがないじゃないですか。

それと「言わなくても察して」は絶対にNGです。絶対に失敗します。それどころか、自分のせいなのに察してくれない相手が悪いとなるので二重に最悪です。

あー面倒。だったら別に一人で自己完結した方がいいんじゃないか?って相手は思うだけですよ。

これは男性も同様で、亭主関白を意識的無意識的にしたがる人はやはりダメだと僕は思います。時代じゃないから、ではなく、やっぱりお互い様だからです。

今流行りの、もしくは今流行りだと思えるような今の結婚に対する「合理的」な判断や解釈をするのなら、最適解は一人で暮らすことだと僕は思います。いや、思います!ではなくてそうだ!と断言してもいいでしょう。草食男子の現れがそれをはっきり示しています。セックスの欲求さえ我慢すればいい。男性側は確かにそうだからです。実は多くの男性は、女性に対してセックス以外の良さを見出せない場合が非常に多い。これは意外な盲点ではないでしょうか?

稼がず愚痴ばかり不平不満だらけでいつも怖がってて依存心が強く嫉妬のオンパレード

見事にモテないマイナス要因だらけです。モテないのみならず、人としても接したくないですよね。

今まではそれを

男性の性欲

が見事に覆い隠してきたのです。美人だエロいだというのは魔法。魔法が解けたら目の前には醜い婆さんが突っ立ってるだけだとしたら、この絶望感たるや。

僕は性欲が急減してから、女性に対しての興味が本当に激減しました。なんなら今、ホテルの一室で僕の前にヌードの美女が立ってもちんこがピクリともしない自信があります。もうそういう歳ではないのです。それに今の時代はセックスに素直になることは大変危険。近寄らない方がいいと考える男性は想像以上に多数なのは間違いありません。

   

なぜ結婚なのか?男女なのか?

僕は今のつれには深い深い思い入れがあります。万が一先立たれたら、僕も迷わず後を追える。そんな妙な自信すらあります。

なぜなのか。

愛、としか言えません。

つれに聞いたのです。

なぜ僕なのかと。

「なんとなくいいな」と思ったとのことでした。そんなアバウトさで知り合ってすぐに連絡先を渡してくれたのです。

駆け引きも何もありませんでした。文字通りいきなりでした。それまで、女性からすれば僕は空気。しかしまた、僕からしても女性は空気。お互いに見えてなどいませんでした。

そんな中で、連れは僕をほぼ初めて真正面から見た稀有な女性だったのです。おっさんなのに全く気にしない。彼女以外にこんな女性はまずいないでしょう。

愛なんだな。

愛。

そうとしか言えません。本人もそうだとのことです。

   

世の中にはあれこれ考えないとダメだという風潮があります。また、目の前にあることではなく、常に目の前にないものを探そうとしすぎているように思います。書かれていない行間を読もうとしすぎていると思っています。

しかし、一番大事なことは目の前にあるその物自体書かれていることそれ自体ではないでしょうか?

男女を結びつけるのは愛です。そして愛は目の前にいる人にしか発動しません。

愛は直感力。行間を読む力なんて不要です。誰かとの比較もナンセンス。

なぜかは知らないけど、惹かれるのです。

結局はそれなんです。

 

なんかフワッとしてること書いてるけど、じゃあその直感力ってのがない人はどうしたらいいの?

なんて聞かれそうですね。

けどそんなの

どうにもできないに決まってるじゃないですか!

ないものはない。

受け入れるしかありません。僕にはイケてる容姿はありません。収入もそんなにない。綺麗事も言えません。

つまりはそれと同じことなのです。

ないものはない。ただそれだけのこと。

愛は誰しもが手に入れられるものではないのですよ。

容姿がいいから手に入るものでもありません。結婚したら手に入るものでもないのです。

目の前にその人がいなければ絶対に手に入らないのです。

これもまたみなさんが勘違いしやすいことでしょう。求めたって愛は与えられないのです。

目の前にいないとね。