アントン・クラソフスキー「ウクライナの子ども、溺れ死ねばよかった」

   

大好きな言葉があります。

・人は観るものしか見えないし、観るものはすでに心の中にあるものばかりである。 アルフォンス・ベルティヨン

何度かこのブログで引用していることと思いますが、何度か引用しているくらいなので、本当に好きです。これぞまさに真実だと思うからです。

人は思わないことなど口にしません。

そもそも思ってないことは言えません。なぜなら思ってないのだから。

口から出まかせであったとしても、その出まかせはそれまでのその人の経験から、そして語彙力から導き出されるものなのであって、全く未知の発想、知らない言語など言えるわけもありません。

アントン・クラソフスキーなる人物が、後からどんな言い訳をしようと、間違いなくその時はそう思ったのです。だから言った。溺れ死ねばよかったと思ったから言ったのです。それ以上でも以下でもありません。

    

そしてもう一つ。僕がこれまた大好きな言葉があります。

まさかの時の友こそ真の友

これは自分の体験から身に染みています。まさにそうだからです。僕がダブルスタンダードと共に綺麗事を(言う輩も含めて)最も憎む理由でもあるのですが、当事者でなければなんとでも言える当事者じゃないからなんでも言えるというのは、極めて野蛮だと僕は思っています。

いざという時、まさかというときにこそ

その人の本性は出る

のですよね。

けれど、もう一つ。その人の本性が出る時があります。それは

その人がリラックスしているとき

身構えるものが何もない時には、人は本性を曝け出します。なぜなら身構えなくてもいいから。

そしてそれを踏まえて僕はこう思っています。

謝罪する時、人は間違いなく身構えている

これ以上評判を落としたくない、非難されたくない、許されたい

テンパってる状態で自分の本音をさらけ出せる人はごくごくわずかでしょう。本当に心から謝罪するような人なら、そもそも謝罪しなければならないようなことはなかなかしないはずです。

 

さて、アントン・クラソフスキーなる人物がいくら取り繕うとも時すでに遅し。

そういう輩なのであって、僕はそう判断しました。

ところで僕は思うのですが、この輩の意見

他のロシア人は「本音では」どう思っているのかと。

ロシアの番組の司会者が「世間の空気、少なくとも番組視聴者の考えを踏まえた上で」自分の考えを言ったのか、それとも、単に自分の思いを言ったのか。

皆さんもそうですよね?私もそうです

なのか、

他のことは知りませんが、私はそう思います

なのか。

僕は前者だと思っているのですが。