不倫はどうしてダメなのか?

僕には全くわかりません。真面目にわかりません。けど、そんな僕を、おそらくはそれなりの人数の方が非難したり批判したりするのでしょう。

では、なぜそんな食い違いが起きるのかというと、不倫は良くないという人と、僕とでは、全く前提が違っているからだと思うのです。

僕はこのブログでは何度も言ってますが、結婚に必要なのは愛だけだと断言しています。文字通り愛だけが必要で、例えばお金は、結婚するしないに関わらず必要なものだと何度も書いています。

そしてこれが僕の不倫に対する答えなのです。

相手を愛していなければ、そりゃあ愛する人の側にいくだろうと。

あまりにも簡単すぎて、これ以上の説明など不要ないレベルです。

けど、僕を非難したり批判する人は、おそらくは建前上は愛がどうこういうかも知れませんが、実際には「結婚には愛なんて不要」だと思っているのではないかと、僕はそう思いますね。

はっきり書いておきますが、そういう人たちにとって、結婚に必要なのは愛ではなく、ズバリお金なのではないですか?それとも相手の地位?名声?それら全部?

愛だと言っても、実際にはどうやって食っていくんだ?

なんてしたり顔でいう人がいますが、僕は聞き返したいですね?

結婚してもしなくてもお金は必要なのでは?なんで結婚する時だけお金が必要なの?

結婚したらそりゃあ色々金が必要になるだろ?なんて言いそうですが、それに対しては

結婚しなくても色々と金が必要になる場面はいくらでもありますよ?

実際、僕はそうでした。結婚しようとしまいと、金はいるのです。人生なんでね。

     

なんであっても、愛以外で、つまりは計算で、もしくは打算で結婚したなら、そりゃあそこに愛がないのは当たり前です。

そしてないものは求めますよね?これまた当たり前。

そして多くの人は本当にわかってないと思うのですが、

愛は人生とは全く無関係

なのです。誰かを愛さなくても人生は続きます。愛する人がいたら、人生は「豊か」にはなりますが、愛がなくても人生は続くのです。ダラダラ続く人生と豊かな人生なら、人は豊かな人生を選びますよね?

だから金なんです。豊かになるしね。

愛があっても人生は豊かになりますよ。だから人は愛を求める。その一つが不倫なのです。結婚生活に愛がなかったら、そりゃあ他所に求めますって。

欲しいでしょ?気持ちいいし。

愛のあるセックスを知ると、風俗なんて虚しいものです。僕なんてちんこがピクリともしません。愛する人とのセックスならセックスする前もした後も気の済むまでまったりイチャイチャできるのです。金勘定も打算もないから、思う存分堪能できますよ。イチャイチャの度合いがまるで違うのです。そりゃあ愛のある女性は魅力的になりますって。

   

不倫を批判する人の中には「自分がされたらどうしよう?」と思っている方もいることでしょう。

意味がわかりません。相手を愛していますか?愛されていますか?束縛=愛ではありませんよ。結婚=愛でもありませんよ。もちろん金=愛でもありません。愛は愛です。なければ欲しがります。

金で結婚したなら諦めてください。というか、金さえあればいいんでしょ?不倫されたらどうしようもこうしようもありません。別にいいじゃないですか。金はあるんだし。社会的にバツが悪いっていうなら、あなたが黙ってればいいのです。金なんでしょ?

相手の見た目がいいからというので結婚した場合も同じ。最初から愛がないのだから仕方ありません。

結婚しても愛は欲しいでしょ?結婚したら諦めろとでも?愛と人生は別物ですよ。愛のある結婚ならいざ知らず、愛のない結婚なんでしょ?なら求めますって。

    

愛しているのに不倫された!

という場合もあるかとは思います。

僭越ながら僕の愛の定義はここに書きました。

というわけで結論ですが、愛しているなら相手を嫌いになれないのではないでしょうか?嫌なものは嫌なので、不倫されたらそりゃ辛い。けど、本当に愛しているなら相手を嫌いにはなれませんよね。そうではないですか?

勘違いしてはいけないのですが、相手は他の人に「愛を求めているのか」、それとも他の人の「体を求めているのか」はしっかりと考えるべきです。ここをいつもうやむやにしているのではないかと思うのです。

あなたが愛とセックスは別物だと考えているなら、そりゃあ相手は不倫します。浮気もします。風俗にも行きますって。当たり前です。だってセックスしたいんだもの。もっと言うなら「エロい」相手とセックスしたいんだもの。

セックス自体は愛がなくてもできます。金があればね。そして金で結婚した人はそれを否定できない。

なぜなら結婚は結局「金で女を得た」「金で体を売った」のとイコールだからです。なら飽きたら違う相手を金で買うのは

あまりにも合理的

ですよね。

そのセックスは金でしてるのか、愛するからしているのか?

ここはものすごく大事なところだと僕は思っています。断言しますが、金、言い換えるなら経済力で結婚したのなら、それは売春となんの違いもありません。長期か短期かの違いでしかありません。売春婦に飽きたら、そりゃあ乗り換えるに決まっているのです。

愛でセックスをするなら話は別。

愛のあるセックスはいいものですよ。とにかく気持ちいいし。不潔なものでもありません。肌を密着させた時のあの気持ちよさたるやもうね。知ってしまうともう他は無理!となるのです。いやもうたまりませんて。

   

対価がないとセックスさせないっていう発想はいかにも売春婦ですが、多くの女性はそうだと僕は思っています。けどそんな女性はやっぱり人を愛せませんって。何をするにも金ならそりゃあ愛せませんって。もちろん男性側もそうで、結局金だろ?って男性はやっぱり女性を愛せません。

はっきり言って、そんなセックスが気持ち良くないのはあきらかだし、だから過激になりがちなのです。けつあなとか言っちゃうのです。一方ではセックスが気持ちよくないからしたくないのだし、拒否るのです。そうではないですか?もしもそうなら、そりゃ他所に行きますって。当たり前です。まずい料理に金を払う人はいませんって。セックスしたいのにあれこれ言ってさせなかったら、そりゃ他所に行きますって。そんなものは愛でもなんでもありません。

相手がセックス下手なんてしたり顔でいう人もいます。本当にそうか?と僕は思っています。それ以前に女性側が対価がないとセックスさせないだとか、本当はセックス嫌いだけど、それをいうと嫌われるのでイヤイヤ耐えて、結婚して子供できたらもういいよねって拒否るとか、セックスにあれこれ(無駄に高い)ハードル設けてたとしたら、そんな女性を僕は少なくとも愛せません。100%他所に行きます。

もっと露骨に言うなら、あなたではちんこは勃たないけど、よその女性だとちんこが勃つというなら、そりゃあ他所に行きます。これまた当たり前。

おっぱいとまんこは万能ではありません。ついてりゃいいってものでもない。

もしも相手のセックスが下手で、そして気持ちよくなりたいのなら、ちゃんと言うべきです。料理だって創意工夫が欠かせないのと同じこと。

それと、これはものすごく大事なポイントなのですが、セックスは男性側に100%主導権があります。ちんこが勃たなければセックスできないからです。ものすごく大事なことですが、それをすっ飛ばしてしまう女性のなんと多いことか。はっきり書いておきますが、ちんこの勃たない女性はセックスにおいては

100%無価値

です。そりゃ他所に行きますって。男性自身どうにもならない生物としての機能なのです。

    

結婚は万能ツールではありません。結婚しようとしまいと人生は続くし、結婚したら欲望が消えるわけでもありません。むしろ結婚を理由に相手に我慢を強いるのは異常ではないですか?

結婚したら束縛していいなんて、鬼畜もいいところ。はっきり言ってキチガイです。

我慢をしないためにも、結婚は愛する人としてください。

愛する人と結婚したら、そもそも我慢なんて思わないですから。お互いがんばろーってなりますから。結婚は万能ツールではありませんが、愛は万能ツール。欠点すらも愛らしい。それが愛です。

   

最後に、愛と恋は全くの別物です。

恋は一部分だけのいいとこどりで独りよがり

愛は病める時も健やかな時も貧しき時も全部まとめて

言い換えるなら

恋は未熟な人の他者依存(無責任)

愛は成熟した大人の人生の潤い(自己責任) 

まるで別物なのです。

潤いがなければ、他所に求めるのです。当たり前のことです。