右利きの世界をちょっとだけ垣間見る

   

僕も、そして僕の連れも同じ左利きです。

そしてお互いに左利きであることはものすごくいいことです。

何がいいって、すごく楽なのです。

テーブルに並んでも肘がぶつかることがないのです。ものの受け渡しがスムーズなのです。いやこれは本当に楽。

日常生活品とか、それ以前に、たとえばものの置き方とか配置とかちょっとしたものが左利き仕様になっているので、いちいち違和感がないのも楽です。

で、僕は思いました。

右利き同士ならこれは当たり前のことなんだろうな

と。

  

この先生の話は「確かにこの先生は左利きだ!」と確認できる具体例が豊富で、だからいちいち納得できるのですが、右利き社会でいちいちあれこれ確認してる日常からすれば、同じ利き手の人と一緒にいるって、本当に楽です。右利きってなんかずるい!的な。

そういえば地味に嬉しいというか、そうでしょ?と納得できたのが

いわゆる「左右盲(さゆうもう)」になったり、言葉がスムーズに出てこず、つかえて同じ音を繰り返してしまう「吃音症(きつおんしょう)」になる

話そうとしても、うまく言葉が出なくなることがあって、無口になっていきました。これは20歳頃までがかなりひどく、60歳になったいまでもその名残があり、つっかえてしまう

まさに僕がそうでした。今でもそうです。けど、そういう話は聞いたことないぞ!と言われることが結構な割合であったのです。

実は字を書くことと箸を持つことはもう左右遜色なくどっちでも同じレベルでできるのですが、右でし続けていると、頭がぼんやりして言葉が出なくなったり吃り始めてくるので、普段は左しか使っていません。右はあくまでもパフォーマンス。こっちもできるよ!両方できるよ!というアピールでしかありません。まあ日常でそんなアピールは必要ないので、結果的には全く右なんて使いませんが。

別に有能ではないし、賢くもありませんし、もちろん天才でもありませんが、それでもこの先生の話は今までの数多ある左利き関連書籍や動画などの解説と比べたら最も納得できるもので、だから左利きはすごいと言われると地味に嬉しいものです。

何よりもいちいち納得できるのです。

そうそうそれそれ。僕も全く同じ体験してるよ!

と。周りの手本は右利きばかりで、だからいちいち頭の中で反転させて云々は、左利きなら誰もがしていること。それでどうしても動作が遅くなってしまって、ノロノロしているとかマイペースだとか言われ続けてきました。

でも、そんな苦労も、同じ左利き同士ならかなり和らぐのです。

右利きの世界ってこうなんだな。

札幌に来て連れと出会って、ようやく僕は右利きの世界を垣間見ることができたのでした。