昔の本はすごかった
禁断の中国史。
そんな話は知らなかったという人が多いとのことですが、僕は実は半分くらい知ってました。
なぜ知ってたのか?
それについて書いておきたいと思います。
僕の自慢話ではないのです。昔の本がすごかったということを書きたいのです。
なぜ僕が宦官とか纏足とか人豚の話などを知っていたのかというと、それはズバリ、本で読んだからなのです。
宦官は記憶があやしいのですが、岩波新書か、その類の新書で読みました。読んだのは間違いありません。なぜその新書を読んだのかなんてのは野暮な話ですが、実は違う本で読んで、すでに基礎知識があったからです。
それはワニの豆本。確かそうでした。タイトルは忘れたのですが、世界の怪談とか実話集とか、そんな感じのものだったはずです。
僕は当時からその手の本が大好きで、それはもう読みまくっていたのです。天才秀才ばかとかもうほんとに面白くて。今で言うなら雑学ですが、色々なものが知りたいと思っていた当時の僕は、とにかく気の向くままに乱読しまくりだったのです。大好きなオカルトの分野だけではなく、とにかくありとあらゆるものを知りたかったので、ほぼジャンルを問わずに読みまくったのでした。
というわけで、そもそも宦官の知識があって、それで本屋で宦官の字を見つけた時にはそりゃもう驚いたのなんのって。
ちなみに僕が当時から今まで、全くもって一度も買ったことのない雑誌のジャンルは車とバイクとホモのみ。一度も買ったことがないどころかほとんど読んだことすらない新聞は朝日新聞毎日新聞のみ。文字通り毛糸の編み物の本だの考古学ジャーナルだの、ジュリストだの、気の向くままに乱読しまくりました。どこかの待合室にあろうものなら、PHPとか市政だよりとかも読んでましたし、なんなら聖教新聞すら読んだことがあるのです。
そんな感じで乱読だったので、断片的にではありますが、いかに中国が異常な国であるのか、実はわかっていました。そもそも、よくよく探すと、実は知識として情報として中国がいかに野蛮な国かということは書かれていたのです。
けど、そうは言っても、正直に書くなら、昔はその情報に対して半信半疑でした。疑念がありました。人豚なんてほんとかよと思ってもいたのです。いくらなんでもやりすぎだと。そんなことは人間にはできないはずだと。
しかし、禁断の中国史を読んで思ったのは
本で読んだ内容は実はその通りだったんだ!
ということで、そういう意味での衝撃ならものすごく受けました。
確かに百田さんの言う通りで、正当(と思われているであろう)な本には、中国の残虐な部分は書かれていないし、スルーされています。三国志なんて英雄伝って感じじゃないですか?中国が好きな人ってまー見事にその部分はスルーしますよね。アメリカ好きな人はちゃんとインディアン虐殺だの黒人奴隷だのと逃げずに向き合ってるのとは大違い。
だから僕は中国好きと公言する連中も大嫌いなのですが。
昔の豆本的な本には、積極的に、そういうような俗に言うタブーとされていることがたくさん書かれていました。江戸時代の牢屋での囚人同士による拷問なんて、今でも鮮明に内容を覚えていますが、漫画の「仁」で似たような話が出てきてて、ああやっぱりなぁ、そうだったんだなぁと思ったものです。
昔の本はアグレッシブ。そして実は今よりも正確な情報を「ただの三流本」ですら伝えていたのです。
今とは大違い。今の時代の本は、ある意味綺麗事を書いている僕ちゃんえらいってやってるうちに、すっかりばかになってしまっている感がありありですが、そういう豆本的雑学をちゃんと今のレベルで本にしている百田さんすごい!と僕は思います。
と、同時に、昔の日本の本のクオリティーの高さにも改めて感心しました。
まあでも確かにUFOの本なんて、ものすごい妄想だらけの本もたくさんありますが、そんな中にもちゃーんと事実が紛れ込んでいるんだなと。