このクオリティだからこそのガンダム
作画崩壊すらも愛されている機動戦士ガンダム(1979)。
個人的にはゼータ、ダブルゼータまではどうにかこうにか無理やりに見て、以後は全く見ていません。
ガンダムといえば、もうひたすらに1979の最初のガンダムなのであって、あとは同じ監督でも全く別物という認識なのです。
そしてそんな僕なので、この映画はとても楽しみです。
最初のガンダムだけは、今のこのクオリティで全話作り直してほしいと思います。切に願います。
実際、潜在需要は相当あるのでは?
ちなみにゼータとダブルゼータ、それ以降に関しては本当にどうでもいいです。なぜどうでもいいのかというと、良くも悪くも
地に足がついてないから
で、どういうことかというと、ゼータとダブルゼータもちゃんとした戦記物にはなれないと思うからです。言い方を変えるなら、最初のガンダムは戦記物としても十分に面白いのです。ニュータイプという思想が前面に押し出されてくるのは物語終盤で、そまではちゃんと「なんちゃって戦記」「架空の戦場モノ」になっているのです。
だから面白い。
ゼータ以降は、もう完全に思想ごっこになってしまって、そうなると宗教なのであって、僕はその手のものには基本的に嫌悪感があるのです。だからゼータ以降は見るのが苦痛でした。最初のガンダムの続編だからという、ただそれだけの理由で見てたのです。
でも、もうあのセリフ回しはうんざりでうんざりで。
共産思想をなぞってみんな分かり合えて仲良くね!って洗脳されているようで、もう嫌で嫌で。
ちょっと待て!
戦記物がいいなら、ガンダムにだって戦記物がたくさんあるよ!なんとかライデンだとか、あんたが知らないだけだろ?
と言いたい人がいるのもわかっています。けれど、それはまさに「僕ちゃんが考えたサイドストーリー」って感じで、それって単に
ガンダムのネームバリューにあやかった
ってだけ。違いますか?
ガンダムの世界の重箱の隅をつついてるだけ。そういうのが好きな人がいるのは当然だし、僕にもわかります。
けど、それはあくまでも重箱の隅をつついてるだけ。
僕が言いたいのは、本家本元である最初のガンダムには
戦記物の全てが詰まっている
のだから、それを今のクオリティーで再現してほしいということなのです。
そうしたら、別に重箱の隅を突かなくてもいいのです。
そのいい例が宇宙戦艦ヤマト2199。監督のガミラス愛は、サイドストーリーを本編とは別に作らなくても十分にヤマトの作品内で昇華されていました。ヤマトの物語の中でしっかりガミラスを描いたからこそ、より一層ガミラスは、デスラーは魅力的になったのです。
それと同じことを、ガンダムでもしてほしい。
僕はそう思っています。