日本代表はまんま日本企業
僕は全くサッカー日本代表の試合を見なくなりました。
理由は簡単で、鹿島の選手が選ばれないからです。選ばれてもサブだったりするからです。
鹿島以外のチームには本当に興味がないので、いい選手だと言われてもピンとこないのです。あのこれ全部が僕の
単なるわがまま自分勝手な押し付け
だということはわかっています。
日本代表を応援してるかしてないかと言われたら、ちょっと悩んでしまうのですが、日本代表なのでもちろん応援はしています。けれど、正直なところ、
熱が入らない
のも本音です。
さて、今の日本政府とか日本企業とか、そして日本代表にも言えるのですが、なんというか、もう全部が
サラリーマン
というか、ちんまりしているというか、
波風立てない
って感じがして、そこもいまいち応援できない部分ではあります。
例えば、日本代表の話で言うなら、鈴木選手。やはり選ばれませんでした。僕は鹿島で暴れて欲しいので、選ばれないのは別にいいのですが、気になるというより、気持ち悪いのが記事のコメント欄。
和を乱すから
的なコメントが本当に多いのです。出る杭を必死に打って打って打ちまくるのです。僕は思いました。
気持ち悪すぎる…
日本代表は仲良しクラブでなければいけないと考えている人が多いんだなと思ってしまいました。そして心底気持ち悪くなってしまいました。
僕は思います。
岸田政権も日本企業も、そして日本代表も
結局は国民の気持ちが反映されるのだ
と。どれもこれも和を乱してはいけないのです。才能ではないのです。和なのです。自分の任期中は和が乱れては困るのです。新しいことをして失敗したら困るのです。何事もなく、とりあえず揉め事もなく過ぎ去ればいいのです。
才能?
そんなものは水物だし、そんな水物で万が一あちこち汚されたら迷惑なのです。そういう気持ちが日本の企業になって、政府になって、日本代表になるのです。
まさに出る杭は何が何でも打ち付けて平にしなければならないという強迫観念ですが、僕ははっきり言って、
気持ち悪さと恐怖しか感じません。
以前から、例えば横綱の品格とやらにも僕は気持ち悪さを感じていました。いやむしろ
強くて品もある
とか、あれこれ求めすぎだとも思います。で、ちょっとでもどれかが欠けると、あるいは出すぎると
狂ったように批判する
のも狂気としか僕には思えませんでした。
マニ教という狂った宗教があるのですが、その狂気を僕は日本から感じることがあります。
平たく言うなら
失敗は絶対に許さない
という狂気。絶対に失敗できないという狂気。
そりゃあ、そういう狂気の中で育ったら、あれこれ小粒になってしまいますよ。失敗しないためにみんな仲良くならざるを得ないのだから。