銀座弁護士妻子殺人事件と山一証券代理人弁護士夫人殺人事件

銀座弁護士妻子殺人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/銀座弁護士妻子殺人事件

山一証券代理人弁護士夫人殺人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/山一証券代理人弁護士夫人殺人事件

銀座弁護士妻子殺人事件は1956年(昭和31年)に発生。山一証券代理人弁護士夫人殺人事件は1997年(平成9年)に発生。どちらも弁護士の家族が殺害されています。一方はその後自分の死刑に対する考えを変え、一方は変えませんでした。

どちらが正しいかなんて裁くつもりは全くありません。心情的には、死刑廃止の考えをこれでも改めないのは、頭がイカれてる!と正直に思うものの、それはあくまでも現在の時間を生きている僕だからそう思うだけで、昭和31年の世相や空気感は僕にはわからない。なので、

ひょっとしたらそういう綺麗事を言わないとならないような世相や空気感だったのかもしれない

などと思ったりもします。

人はその時代の空気感に流されます。僕だってそうです。その空気感が

綺麗事を言わないとならない

ようなものであったら、そりゃもう普通の人ならそれには逆らわないですよ。そもそもネットなんてないし、世相は新聞が作るものなのだし。その新聞記事が狂っていたならもうアウトです。新聞は中立公平で正しいことを書いている信頼がおける媒体だという認識があったならなおさらでしょう。

よく知りもしないで日米安保改定反対と大暴れするキチガイを多数生み出した元凶でもある新聞なのです。推して知るべし。

    

僕は綺麗事が大嫌いなので、死刑反対に対しても大反対しています。僕は僕の(貧弱ではあるものの)想像力を使い、自分や自分の身内が酷い目に遭ったらどうだろうか?と考えます。

暴力で無茶苦茶されたけど、相手のことも考えてやれ

なんて、いざ、自分や自分の家族がそういう目に遭っても言えるのか?といえば、僕なら口が裂けてもそんなことは言えません。相手にも同じ程度の罰を与えたい、もっと言うなら、半殺し以上にしたいと思うでしょう。

一方で、酷い目に遭っても自分は相手の言い分を聞いてあげたいという人もいることでしょう。自分や家族の人生が滅茶苦茶になっても、それでもなお加害者のことを最優先で考えてあげたいという人もいるでしょう。僕はそういう人を理解することなど到底できませんが、さりとて否定しようとは思いません。

勝手に苦しめ!

とは思いますが。

今回はただそれだけの話です。

余談ですが、僕のように考える人なら、ロシアの侵略戦争に対しても100%反対だと、僕は確信しています。