東日本大震災から11年

3.11といえば、僕の中ではヨドバシカメラであって、札幌のとある交差点であって、百石(今は奥入瀬町かな)の橋です。
実は、ヨドバシカメラのテレビ売り場は2階なのですが、僕の記憶では、2階に上がってはいない気がするのです。だからひょっとしたら違う電気屋なのかもしれませんが、けど、やっぱりなぜかヨドバシカメラなのです。僕の中では。
札幌のとある交差点は、通るたびに3.11のことを思い出していました。実は今でもそうです。なぜこの交差点が3.11と関連づけられてしまったのか、それはよくわかりません。特に似たような景色が東北地方にあるというわけでもないし。
当時から既に家にはテレビがなく、ネットでニュースを見まくってた僕ですが、単純に
テレビが見たい
と思ったのは確かで、なぜかというと、
手に入る情報はなんであれ片っ端から手に入れたい
と思ったからです。だから普段は絶対に買うことのない朝日新聞毎日新聞も買いました。何がどうなっているのか、自分の目で確かめたかったのですが、あいにく、というか、恥ずかしながら、その時は金銭的にも状況的にもどうしても札幌から抜け出せなかったのです。
だから情報を集めることしかできず、それは今でも僕の中では心残りというか、重いしこりというか、もやもやした思いとなって蠢いているのです。
実家に電話しても繋がらず、状況的には青森は酷くはやられてないと知ってはいてもすごく精神的にまいりましたね。ようやく繋がって「なんでもなかった」と聞いてようやく一安心しましたが、結局は知り合いが亡くなっていることがわかり、複雑な心境。
その時に百石の橋の映像をネットで見て驚愕。よく知ってる場所だっただけに、まさに恐怖しました。あんなことにはなりそうもない場所なのです。
一方では、人が死んでるような映像を必死に見ることに対して疑問を感じながらも、知りたいという気持ちには勝てず、ビデオで撮ってるのだから死んでないとか思ったりもして、もう気持ちがぐちゃぐちゃでしたね。
もちろんボランティアに行きたかったのですが、上記で書いた通り、金銭的にも状況的にもどうしても札幌から抜け出せなかったためにそれも叶わず。
あの時の複雑な感情は、今でも僕の中では消化し切れてはいません。
大好きな東北地方がめちゃめちゃになっているのを、ただただ見ることしかできなかったのは、実に実に辛いことでした。
そんな東日本大震災から11年。
10年ひと昔で、なんらかの区切りがついて、さぁ、ますます復興だ!という感じだとは思うのですが、それでもやっぱり振り返ると、色々と複雑な思いが蘇ってきます。
地元の人たちはどんな思いなんだろう。
当然、僕よりもはるかに複雑な辛い思いを抱いているのだろうなぁ。
今日はそんな日。
東日本大震災が起きた日です。