私小説が死ぬほど大っ嫌いです

あれこれ例を出すことは控えますが、過去の人物で言うなら、僕は太宰治が大嫌いです。

そもそも私小説が大嫌いなのです。

理由は簡単で

あまりにも無駄に考えすぎで、なおかつそんな自分に酔ってる様

が心底醜く感じるからです。

僕は徹頭徹尾、とことんまでにサヨクとかリベラルが大嫌いですが、それらと私小説の親和性の高さを考えたら、私小説が大嫌いなのも当然のこと。

こんなに考えてる俺を私をわかってほしい!いや、分かれよ!

なんという醜い発想かと思います。サヨクもリベラルも、そして私小説も、結局は常に自分が物事の中心なのであって、だから必ず歪になってしまう。歪んでしまう。その歪みが僕が大嫌いなのです。

だからその手の物語も大嫌いで、例えそうではないのだとしても、個人的にそう感じてしまったらもうだめです。エバンゲリオンは実はたった数分しか見てないのですが、歪みを感じました。感じたら最後、僕はとことん敬遠してしまうのです。もはや1秒たりとも見ようとは思いません。

  

逆に言うなら、僕が実はものすごく冷たい人間なのかもしれません。基本的には

物事はシンプルであればあるほど良い

と僕は考えていて、だから考え方も実は極めてシンプルであるべきだと思っているのです。そう、一部の人が異様に嫌う

べき(論)

が僕は案外好きなのです。だから、賢いふりしてああでもないこうでもないと考える様が愚鈍と思えるのです。

数学は苦手ですが、実は大好きなのも、数学は徹頭徹尾、思考の流れがシンプルだからで、シンプルゆえに誰にも媚びない答えが出てきて、そこにグッとくるものがあったりします。

  

日本にはいい言葉があります。

下手な考え、休むに似たり

すごく大好きな言葉です。考えすぎるよりも直感を信じたいし、考えるなら、筋道を通したい。そうすれば無駄に考えずに済む。

無駄を遊びとか言って誤魔化したりする人がいますが、無駄は無駄です。同様に、無駄なのは粋でもなんでもないと思っています。個人的には、シンプルを極めることが粋に繋がると思っているからです。

例えば実用品はどれもシンプルの極みであって、無駄なものなんて全くない。頑丈なナイフと十特ナイフなら、頑丈なナイフの方がいいのです。キャンプに十特ナイフを持っていくような人はまずいません。そんなものを持っていくなんて、死ににいくようなものだからです。なんの役にも立たないからです。

悩みの大半は、単なる個人的なオナニーだと僕は思っています。宇宙戦艦ヤマト2202のあのオナニーは酷さの極地でした。全編がオナニーという醜さ。2199が傑作に近い良作だっただけに、心底ガッカリしました。

でも、今はああいうのがいいんだろうか?

だとしたら、本当に気持ち悪い世の中です。

もちろん共産主義もそうです。こんなに俺は社会のことを、人のことを考えているんだぞ!っていうただのオナニー。

けど、そういうオナニーが好きな人って多い。白土三平の漫画に憤って社会正義に燃えた人もいることでしょう。

自分大事で、自分が一番で、常に自分がー自分がーというサヨクなら、そりゃあ気狂いの極みである共産主義に走るよなぁと思います。

世界の中心が常に自分。

私小説も、サヨクも、共産主義も、僕は死ぬほど大っ嫌いです。