森鴎外の舞姫をあらためて読む

教科書に載っていたからなのか、あるいは気ままな読書の最中に偶然読んだのか。
ちょっと記憶が曖昧なのですが、それでも森鴎外の舞姫は大好きな物語で、割と何度も読み直したものです。
そもそも若い頃の僕は、実は舞姫の影響大で、白人女性にものすごい憧れを抱いていたのでした。実は今でもかなりのものだったりするのですが。
もちろん憧れは憧れであって、憧れたものと現実との間には、たいていの場合、ものすごい乖離があるもの。そして、これまでの人生から、女性と接するのは基本的には
ものすごい面倒
だと判断してしまった僕としては、愛する人が一人いればあとはもうお腹いっぱいなのです。幸い、年と共に「セックスの影響力が低下し続けている」ので、仮に僕が重要人物だったとしても、今後の人生においては、どこぞのバカのようなハニトラに引っかかるようなことにはならないでしょう。それくらいもう女性と接することは面倒なのです。
愛する人がいるから、それ以外は本当にどうでもいいというのも当然あるのですが。
さて、実際の女性と接するのはものすごく面倒でも、僕の考える憧れの世界の中では、まだまだ女性は輝いています。
なので、舞姫のエリスに関しても、今でもものすごい美女を想定してしまいがちなのです。実際、最近読み返してみて、やっぱり美人想定してしまいました。そんなだから、当然エリスのモデルとなった女性に対しても、それはそれは美人だったのではないだろうかと、勝手に思いを馳せていたのです。
何年か前に、エリスのモデルだという女性の写真がネットに出ていて、それを見た時のことは忘れません。
ガーン。
この一言だけで、日本語がわかる人なら僕の心境を十分に理解してくださることでしょう。
けれど、これは半分以上は僕自身が悪いのです。勝手に人物像を(強烈なレベルで美人に)こさえたのだから。
けれど、美人だからとか不美人だからとかいうのは、それはやぼというものです。
大事なのは当人同士がどう思うか。
森鴎外は、時に卑劣な人間だと言われがちです。なぜなら自分を追ってきた女性を突き放したからだと。
しかし、僕は「どうしても腑に落ちないもの」を感じていました。理由は簡単。
森鴎外が舞姫を書いたから
です。卑劣な人間だったなら、そもそもこの物語を書かなかったのではないかと思うのです。卑劣な人間は基本的に
自分をよく見せたい
ものです。しかし森鴎外は書いた。そしてそれはどう読んでも
甘美な、それだけに悲しい
物語になっています。自分に酔っているのではなく、素晴らしい女性と会って、そのことが忘れられないから書いた。僕にはそう思えたのです。上記のリンク先で、僕のこの個人的意見が裏付けられた気がしました。
森鴎外は卑劣な輩ではなく、時代に飲み込まれた人物だったのです。当時はそういう仕組みだったのです。今の人が今の制度や考え方で昔の人を偉そうに批判するなんて愚かな馬鹿丸出しの人間にはなりたくない僕なので、これは昔はそうだったのだとしか言いようがありません。
そんな中で、確かに二人は愛し合っていたのです。その時代でできる方法を使って。
そう思ってあらためて舞姫を読んだら、やっぱり感動。
と共に、ものすごい辛さを感じました。
舞姫は愛の物語なんだと痛感しました。