猪木の「風車の理論」にはイライラしっぱなしでした

相手の力を8とか9引き出した後、10の力で勝つこと。これが「風車の理論」です。

僕は正直、すごくこれが嫌でした。

そういうものを僕は全く好まないからです。

戦う以上は、相手に何もさせずに勝つのが最もリスクがなく、大事なことではないか、いつもそう思ってました。

だから、ちっともカタルシスなんて感じませんでしたし、これは今でもそうです。

戦う以上は駆け引きなんて不必要だと僕は思います。

そもそも

相手に力を出させる

ってなによ?と思います。それってつまりは「譲歩」なわけです。しかしながら、世の中にはこの譲歩が好きな人がたくさんいるようで、例えば

現在進行形で民族大虐殺をおこなっているキチガイ国家中国に対する譲歩

なんて、もう狂ってますよね。大虐殺の片棒を担いで、それでいい気分なんでしょうか?

そういう連中は、うんとひどい目に遭えばいいです。僕は祈ってますよ。散々苦しんで死んでいけと。僕は綺麗事は言いませんからね。

そもそもオリンピック後も当然断交だろうよ。馬鹿じゃないの?現在進行形でおこなっている民族大虐殺はオリンピックが終われば終わるのかと。

頭にうじでも湧いてるんじゃないの?

大虐殺されてるんだぞ!

自分がいっぺんひどい目に遭ってみろよ!このクズ野郎が!

テレビなんてないから、あんな頭のおかしな元どこかの市長だかなんだか知らない輩の醜い面を見ないで済むのですが、この輩のみならず、何かこう、異様なまでに相手に譲歩する人が多い気がします。

  

上記のような話は、たとえば物語であっても、やりたい放題を散々させておいて最後に反撃してスカッとするっていうのが大好きなようで、そういうものが本当にたくさんあります。盛り上げるための演出なのでしょう。めったやたらと多い。

全く僕にはわかりません。相手がやりたい放題するということは、それだけ

被害が出る

ってことなのですが、現実世界に置き換えてみてください。

殺人犯が逃亡先で次々と人を殺していき、警察官も多数死んだのちに、ようやく捕まる

ってことですよ。

こんなの容認できますか?カタルシスだと思いますか?やった捕まったザマアミロ!ですか?

意味がわかりません。多くの人が死んでるのです。

自分が被害を受けないとわからないほど馬鹿なのでしょうか?

   

常に自分は安全っていうその狂った発想はどこから出てくるんでしょうか?

相手に力を出させておいて勝つなんていうのは詭弁です。

戦うしかないのなら、圧倒的に勝つのが一番の理想。もちろん理想と現実は違いますが、だから譲歩だの話し合いなんていうのは、馬鹿丸出しです。

相手より強くなるしかないのです。そしてできる限り圧倒的に勝つ。

あらゆる手段を使って、相手には一切力を出させない。見せ場なんて一切与えない。

それが大事だと僕は思います。

もちろん上記の話は現実の話ですが、実は物語上であっても、僕ははっきり言って風車の理論は大嫌いです。ちなみに、相手の力を受け流して勝つという意味での風車の理論なら納得しています。

仮に攻撃されても受け流せる。これはそもそも圧倒的な力がないとできないことですが。