庶民感覚というもの

僕は統計学はそもそも勉強しておらず、最初に触れたのは髙橋洋一さんの本なのですが、正直、目から鱗でした。

数字の不思議さを目の当たりにして、驚くと共に、数学って面白いと思ったものです。

大人どころか、すでにおっさんとなってしまった今一番学びたいのは数学なのですが、実際に学んでみると、本当に初歩からわからないことだらけ。

例えば分数の割り算なんて、なぜああなるのか、どうしても理解できずに困っています。

けれども、YouTubeなどで数学講師の授業的なものを見て、自分でもやってみると、これが本当に面白いのです。

ああ、小さい頃になぜそう思えなかったのか。

 

さて、上記動画のコメントにある「庶民感覚」に、ものすごく違和感を感じたのですが、庶民感覚といえば何を言ってもいいんだ的なものを、僕は感じました。

上記動画では物価指数は万万点もある品目の全てをチェックすると言っているのに、そして二つ三つの品だけで判断してはいけないと言っているのに、それなのに、

まさにその二つ三つ程度の狭い世界の話を「庶民感覚」と称してコメントしている人がいるのです。

そういう人は不勉強で馬鹿だと言ってるのに、一体全体、動画の何を見ているのでしょうか?

 

しかし、同時にこれこそが「庶民感覚」の正体だと僕は改めて思いました。

庶民感覚とは何か?

それは

自分が思っているから認めろ!

なのです。つまりは極めて

サヨク思想に近いもの

なのです。

そうは言われても、俺はこう思う。根拠は自分の半径数mぐらいの世界ではそうだから。

そういう半径数mを避けるために、世の中のさまざまな品目のデータをチェックするのだと動画では言ってます。言い換えるなら、庶民感覚というあやふやなものを避けるために統計を使い、そしてそのデータは、客観的であるがゆえに

一部をえこひいきしない

のであって、そのえこひいきしない様に納得できない場合の方便が

庶民感覚

なのでしょう。

 

でも、庶民感覚を訴える人には、割と万能の奥の手がありますよね。

その数字は本当に正しいのか?

というもので、最近も統計データが改竄されていたというニュースがありました。こういうニュースがあると、庶民感覚を持ち出す人の中にはこう考える人も必ず出てきます。

…ということは、

他のデータもあやしくないか?

と。だって、俺の感覚だと物価は上がってる。けどデータを見るとそうではないらしい。けれど、最近は統計データの改竄というニュースも出た。ということは、

本当に動画の話は信用できるのか?信用できないんじゃないか?

と。あまりにもありがちで、僕も若い頃ならあっさりそういう論法に騙されていたことでしょう。

今なら対処できます。

それはそれ。これはこれ。

です。改竄されていたのは違うデータというだけのことで、しかも改竄がわかったというなら、むしろチェック機能がちゃんと働いているということ。いいことなのです。チェック機能がちゃんと働いているなら問題ないのです。

ここは日本で、中国のようにチェック機能がない独裁国家ではありません。

 

とはいえ、庶民感覚を全否定するつもりも実はありません。

僕だって、最近ちょっとこの商品高くなったなぁと思うことがあります。けど、それはあくまでも確かに一要因。自分の境遇でも価値観は変わりますし、世界情勢でも価値観は変わります。そして価値観は千差万別で人それぞれ。

だからこそ統計が必要なのでしょう。

ただ、統計は誰かに媚びることもないし、誰かを贔屓することもないので、その部分に不満を感じる人がいるわけで、しかしそれは裏返して言うなら

俺の言うことを聞け、贔屓しろ!

ってこと。そうならないようにしたいものです。