歪みはいつも弱い方に現れる
何も死ななくてもいいじゃないかと言ったところで、本人たちにしてみたら、そこまで追い詰められていたということ。
言うは易し、行うは難し。
知らんぷりして営業したって、はっきり言って感染は広がらなかったと、僕は今でも根拠なくそう思っていますが、僕一人がそう思ったところで、現実はと言えば、感染云々に関わらず、とにかく営業自粛してくれと言われたら馬鹿正直に実行しちゃったのです。
国や地方の愚策、マスゴミのセンセーショナルな報道が、執拗に執拗にネチネチととことん飲食店を悪者にして吊し上げて追い詰めた挙句に、弱いところからポキッと折れた。
これはそういう事件です。
当人たちがどんな思いで自殺を選んだのかはわかりませんが、辛かっただろうなとは思います。悲しかっただろうとも思います。いっそのこと、誰かを憎めばよかったのにとも思います。中国や韓国やサヨクのような気狂い連中のように、
他に悪者を作れば
生きる力は湧いたかもしれません。沖縄にいる気狂い連中を見習えとは言いませんが、自衛隊を妨害するようなキチガイ外道連中は、生命力だけは無駄に強いですよね。キチガイってのは全部が他人のせいで、悪いのは自分以外の誰かなので、本当に図太いのです。
まあ、でもあまりにも醜いので、
ああはなりたくない
という気持ちはわかります。あんなキチガイどもに理性を持って接したところで、どうにもならないのに、それでも自分は理性ある賢人的な振る舞いをしようとするところが、キチガイを余計にキチガイにしてしまうと、わかってほしいものです。キチガイを無駄にずぶとくしているのは、実は常識人を気取る人たちの行動なのです。
そしてその行動は、たいていの場合は歪みを生じさせ、そして弱い部分がポキッと折れる結果になるんです。
ちなみに、自死って言葉は僕は使いません。
馬鹿丸出し
だからです。売春を援助交際と言うのと全く同じだからです。うんこをきれいな紙で包んだらうんこ自体がきれいなるっていう発想。頭のおかしさが極まってますね。
こういう事件は綺麗事ではないのです。みんな生々しく生きているのです。その生々しさを適切に表す言葉が日本にはあるのに、それを使わないのは、はっきり言って狂ってます。
自分を殺すしかない。
この生々しさ。やるせなさたるや。