いじめで苦しんでいる人がいじめっ子に殺意を抱いた場合はどうすればいいのか?

旭川のいじめによる自殺については、本当に可哀想だとしか思えません。何がかわいそうかというと相手に対して反撃できなかったこと。

どれだけ辛かっただろうなぁ。

なすがままにいじめられ、なんにもできずに、自己主張すらできずに自分で命を絶つなんていうのは、想像を絶する苦痛でしょう。

従って、相手がどれだけ理屈をこねようと、僕はいじめた側を全否定します。いじめられた側の言い分を聞いたのか?やめていう願いに対して応えたのかと。応えてないだろうと。なら俺も一切聞かない。そういうことです。

いじめた側こそ勝手に散々苦しんで死んでくれ

というのが本音です。

まだ若い?将来がある?

それはいじめられた側にも当然あったものです。それを全否定しておいて、いじめた側だけに将来だの未来だのがあるなんて、ずうずうしいにも程があります。僕は全否定します。うんと苦しんでのたうち回って辛さのあまりに自分で死を選んでほしいですね。それでようやく

いじめられて死んだ側と同等

になるのです。

 

では、

いじめで苦しんでいる人がいじめた側に殺意を抱いた場合はどうすればいいのか?ということですが、法を無視した場合を想定するなら、やられたことと同じことをやり返してほしいと思うのですが、そもそもいじめられる側は、そういう「やられたらやり返す」という発想がないからいじめられるのであって、ありていに言うなら

弱いからいじめられる

のです。しかも集団でやられたら、仮に一対一なら勝てるとしても、一対多ではやはり勝てない。だから実際問題としては、いじめられたらどうしようもありません。

逆に言うなら、いじめる側は、絶対に危険がないシチュエーションを作ってからいじめを始めるのではないでしょうか?

つまり、いじめられた側は、とてもじゃないけど、やり返すことができない。けど、反撃したい。だから命懸けになるのだし、だから殺意になるのではないでしょうか?

そこまで思い込んでしまうほどに追い詰められるのです。

そんな状況になってしまったら、果たしてどうしたらいいのでしょう?

僕の答えは簡単です。

行くところまで行くしかない

です。この時点でいいも悪いもないのです。いじめのメカニズムとして、いじめは中途半端では止まらない。その上誰も助けないとなったら、行き着くところまで行くしかありません。願わくば、相手をとことん傷つけてほしいと言うのが僕の本音ですが、それは同時に法に反することになりますね。

けれど、いじめる側は、ノーダメージで、むしろある意味娯楽として楽しんでいるので、その報いは受けるべきだというのが僕の意見。

では、もしもいじめられた人を助けてくれる人がいるなら、まずは全てから逃げてほしいです。逃げるが勝ちです。けれど、僕はこう思います。

安全地帯まで逃げたら、必ず、そして確実に反撃すること

助けてあげた人は、全力で反撃して欲しいのです。ただでは済まないのだと思い知らせて欲しいのです。いじめる側がノーダメージというのは、僕にはやはり納得できません。いじめたら、確実に反撃される。しかもより強い反撃がある。

暴力に対抗するのは暴力しないのです。