ウルトラマン(初代)の面白さは

ウルトラマンは今や一大産業になっていて、シリーズもかなり続いています。どの程度続いているのかはもう僕にはわかりません。

気になる方は各自で調べてみてください。

僕の限界はウルトラマン80まで。あとは本当に1話たりとも見ていないのです。

けれど、だからといって特に思想とか面倒な話とがあるわけではなく、単に社会人となって仕事が忙しくて、テレビどころではなかったというのが真相。社会人になってからは忙しさと趣味のドライブに熱中するあまり、本当にテレビを見なくなったのです。だから、実はテレビを見ないというのは、もうかなり前からそうだったのです。

その後「あれ?別にテレビがなくても不自由しない」ということに気づき、そして札幌に来ると同時に完全にテレビを無くしました。

そんなわけで、主に平成になってからはもう浦島状態ですね。流行りのドラマも全く見てないし、アニメも特撮も、その他も同様。

だから、どうしてもドラマも映画もアニメも特撮も、昭和に帰ってしまうのです。

  

さて、ウルトラマンの話。

最近実は初代マンを見てたのですが、本当に面白い!いまだにめちゃくちゃ面白いのです。素晴らしい!と言っていいレベルで面白いのです。

なぜそこまで面白いのか?

それは物語が「思想」ではなく「SF」だからだと気づきました。つまりウルトラQなんですね。

物語を「思想的」に捉えると、大体は二元論(善と悪)になってしまいます。そうじゃないという方もいるかもしれませんが、根底に善と悪があるからこそ

本当にそれは正しいのか?

という屁理屈を言いやすいのであって、最近のこの手の物語は全部がこれだと思っています。相対化というやつです。

それが本当にあまりにも退屈でつまらなくて僕にはどうしようもありません。

永遠の厨二病って感じがしますし、太宰治とか、もっというなら僕の大嫌いな私小説的な感じがして、もうたまらなく嫌になってしまうのです。このブログで何度も書いていると思うのですが、

オナニーを延々と見せられている

感じなのです。

けれど、ウルトラマンはどうか?というと、例えばジャミラの回は一見すると、オナニーっぽく見えますが、実はそうではなくて、あくまでも「科学的に想像したら、こういうこともあり得るかもね」という、まさにSFの醍醐味である、

科学的手法や十分な基礎知識に基づいて構築した

物語になっているのです。

だからこそ安っぽい絶叫シーンとか、無駄に感動させようシーンとか、萌えキャラの声がキンキンうるさいシーンもなくて、短い時間の中で中身の濃い作品になっているのです。

科特隊も、全く交戦的ではなく、むしろ被害を食い止めようとしたり、攻撃が通用しないとなると、特攻ではなく一旦退却したりなど、清々しいまでにしっかりした組織なのであって、実はウルトラマンに助けられはしたものの、何度か怪獣を倒したりもしているのです。

つまりはエンターテインメント!なのです。

なので、面白すぎて、夢中になって見てしまいました。

しかし、残念なことに、このエンターテインメントはウルトラセブンまで。帰ってきたウルトラマン以降は、どんどん思想的な傾向が強くなり(つまりライターの主義心情や政治的な思想が色濃く出るようになり)サイエンスフィクションではなく、エスエフ的要素を盛り込んだただの活劇となってしまって、今にして思うと、帰ってきたウルトラマン以降は「惰性で」見ている状態だったかもなぁ。

主義主張が入ると、途端にオナニーになってしまうのがなぁ。

  

最後に、シン・ウルトラマンについても少し。

本当に楽しみにしていますが、今更お願いしたいのは、今風の私小説には絶対にしないでほしいということ。変身することに悩むとか、街の被害を殊更に拡大してどうたらこうたらとか、いちいちそれっぽい面倒な厨二病設定は絶対にやめてほしいです。

科特隊も、むやみやたらと交戦的というよりは、まさに自衛隊的な、抑制の効いた、それでいて有事にはしっかりと対処する特別感満載のエリート組織として描いてほしい。

光学処理もやめてほしいです。光るのはせいぜいスペシューム光線ぐらいで、怪獣が光線出すのはやめてほしいです。光ればいいってもんじゃありません。

アクションシーンは出来うるだけ「地味に」。巨人なのです。巨大な重量を持つ物体がド派手に動ける訳が無い。

ジャミラやメフィラス星人はいかにも今のライターが私小説風にアレンジしがちなのでNGで。

というか、1話から3話までの物語を基本は変えないで、まとめてほしいです。あと、ナレーターがほしい!

…とまぁ勝手に書きましたが、もう作品自体はできてるのかな?

なんにしても観たいです。早く上映されないかな。