反米は人格を歪める
虎ノ門ニュースでお馴染みの武田先生はとてもウケがいいように感じます。
常に「これはこうだ!」と言い切るし、図やデータを出してくるとことは学問的だし。
けれど、僕はずっと違和感を感じています。
武田先生の議論はやっぱり議論になってない気がしてならないのです。
武田先生はよく論文を持ち出します。確かに論文は大事でしょう。けれど、僕には
だって〇〇ちゃんがこう言ってたもん!
と言う風にしか聞こえないのです。その論文自体「検証されたものなのか?」と。
少なくとも科学というのは
・論を立て
・実験して
・(第三者が)検証する
ものだと僕は思っています。論文だけでは検証したことにならないのではないでしょうか?論文を元にして検証する(再現できるかどうか)。これが基本ではないかと思うのです。論文が出たからそれは事実というのは、あまりにも稚拙ではないでしょうか?
だから、どうしても言動が感情的だと感じざるを得ないのです。わかりやすく言うなら「極論」。「逆張り」にも聞こえますし、「年寄りの小言」とも思えます。
もちろん僕がこんなことを言ったところで、相手は僕よりずっと科学に携わっています。武田先生はプロ。僕は素人以下。話になりません。
僕が高橋洋一さんを信頼するのは、彼の論が常に理路整然としているからです。そしてそこに対して私情を出来うる限り絡めないようにしているのがはっきりわかるからです。彼はいわゆる戦争史観を持ち出さない。日本は戦争に負けたということを殊更に持ち出すことをしない。75年以上も過去の話を事あるごとに持ち出さないどころか、ほぼ言及しない。彼が感情的になるのは、常に「論として成り立たないことを言ってる相手に対してのみ」。
だから僕は高橋洋一さん経由の情報を信頼しています。
彼は学者であって、歴史にはノータッチ。だから学者として信頼できるのです。
では武田先生はどうか?
武田先生は反米であることを隠していません。そして科学という割には常に感情を絡めてきます。反米思想なんてその最たるものです。武田先生が「僕は〇〇は嫌いだ!」と言い切るのは確かにウケはいい。けど、それは科学的ではない。少なくとも好き嫌いは感情論。だから僕は武田先生に言動はあまり信頼できない。
考えてみてください。
アメリカに負けたということに対して異常なまでの情熱を76年以上経った今でも持っている。過去に対する執着の異常さと言い換えてもいい。
76年以上も前の話にいつまで執着するのだろうか?
逆に言うなら、そこまで執着し続けるのはなぜなのか?
戦争で負けたから?
僕は反米思想は受け入れません。理由は簡単で、そういう連中の大半はいまだに76年以上も前のことに拘泥しているからです。それは僕には異常としか思えません。過去はいくら弄っても過去です。事実は1mmも変わりません。
言い方は良くないのでしょうけど、いくら日本がすごい国でも事実は戦争に負けたのです。
そしてそれはもう76年以上も前のことなのです。
一体いつまでこだわり続けるのでしょうか?
100年経っても200年経っても300年経っても1000年経っても、拘らないといけないのでしょうか?
それは僕は知性とは呼べません。キチガイだとは思いますが。
仮に今の時代で「元寇」のことを言ってモンゴルや朝鮮に対して憎しみを抱いていたとしたらどうでしょう?
そんな人をまともな人だと思いますか?歴史を語り継ぐなんて綺麗事を言ってますが、そうやって1000年語り継いだらどうなるのか、考えてみたことがありますか?
バカにしかなりませんよ。
過去を学ぶことはとても大事なことです。自分の国に誇りが持てるし。
しかし過去にこだわるのは異常です。ましてや何処かの国と比較しても意味などありません。歴史も文化も違うのだから。
今は今の物差しで。
今の物差しで測った結果として僕は中国と朝鮮が大嫌いですが、だから反米ではありません。大事なのは今だから。少なくとも同じ価値観を持っている国だから。僕には反米の意味が1mmも理解できません。
今は今です。大事なのは今。