一神教はどこまでいっても暴力装置にしかならない

キリスト教は過去に夥しい量の血を流してきました。

今はイスラム教がものすごい量の血を流しています。

共産主義なんて、どれだけ血を流しても満足することがありません。

上記は全て「一神教」です。

 

共産主義はその性質上、必ず「独裁」つまり誰か一人を祭り上げることになります。共産主義の最悪さの一つは

宗教は人間ではなく神を祭り上げるのに対して、共産主義は「ただの人」を神のように扱ってしまうこと。

そして人間は神ではないので、必ず暴走します。神のように振る舞おうとしてもできないからです。できないことをしようとすると、必ず暴力に走る。子供が自分の思い通りにならないと手足をバタバタさせて暴れるのと全く同じことなのです。そして共産主義はその性質上、暴力が必須。暴力のない共産はあり得ません。共産思想では暴力を「革命」と言っていますが、なんのことはない、

売春を援助交際とかパパ活とか綺麗な言葉でラッピングするのと全く同じ

なのです。共産主義の言う革命とはどこまでいってもただの暴力でしかありません。

そんな宗教だから、やはりそれっぽい人がハマってしまうのもお約束。

神のようになりたがる輩が共産主義にハマってしまう

のですね。サヨクの「自分だけが常に正しい」という狂信は共産思想になりやすいのです。

共産主義というのは「自分だけが常に正しい」という狂信をそれっぽく理論化しただけのものだと僕は思っています。

   

キリスト教やイスラム教は共産主義とは違います。共産主義が人を神にしてしまう狂気の思想なのに対して、キリスト教やイスラム教は宗教。人ではなく「実態のない神」を祭り上げるのです。しかし実権は坊主が握るという点では実は共産主義とそう変わらない。

キリスト教もイスラム教も

神は唯一

ということから、実は他者に対しては徹底した不寛容なのです。例えば、今日のキリスト教はとても穏やかで、暴力沙汰など聞いたことがありません。けれど、基本は一神教。その初期の思想は「神を崇めよ!」だったのです。しかし、キリスト教のよかった点は

初期に体型づけられていったその思想の色々なところに様々な矛盾を孕んでいたところ

でした。多くの人はその矛盾に耐えられず、だから解消したいと思い、さまざまな思考実験が行われ、その結果として宗派が多様になり、だから一神教なのにも関わらず柔軟になった。

実はキリスト教は限りなく多神教的になっていったのです。

聖人とか天使という概念はまさにそうで、唯一神ヤハウェだけではないのです。悪魔もそう。世の中は多様。いいことだけではなく、悪いこともある。その悪い方の概念もしっかりと体系立てた結果が悪魔。

そしてそのような思考実験を繰り返した結果、今日のキリスト教は、もはや暴力装置ではなくなってしまいました。他者を攻撃しなくても良くなったからです。矛盾を抱え、思考実験で解消しようとした結果、それらの矛盾を受け入れてしまったのです。

指摘しておきたいのは、キリスト教の中で最も暴力的だったのは「カトリック」だということ。暴走しているのは大抵カトリックです。

  

僕はイスラム教は不勉強なのですが、キリスト教のような多様な概念があるのだろうか?

ないからそこ狂信になるのではないかと思っています。イスラムの儀式は僕にははっきり言って異様にしか見えませんが、ひたすらにヤハウェだけを信じるというのは、逆に言うなら

「それ以外は絶対に認めない」

という狂信でしかありません。その初期よりキリスト教のような矛盾を孕まないスッキリした思想体系で、ゆえに勢力を誇ったイスラム教。しかしスッキリしているがゆえに思考実験が行われなかったとも言えます。そりゃあ硬直化しますがな。

ひょっとしたら、今まさに思考実験の真っ最中なのかもしれません。暴力で強引に矛盾を解消しようとしているのかもしれません。けれど、はっきり言って、この世はヤハウェというチンケな神一人だけの力ではどうにもなりません。どうにかなってるならそもそもイスラム教なんて存在しない。

どうにもならないからこそ、ヤハウェというチンケな神を祭り上げて「俺たちが正しい」とプロパガンダを行うしかないのだし、それでもどうにもならないので暴力を使う。暴力で正当化する。ムハンマドのしたことはまさにそれです。

本当にヤハウェという神がいるのなら、祭り上げなくても暴力を使わなくても、世の中はよくなっているはず。

そんな唯一神なんて、どこにもいないのです。