それは本当に精神障害なの?

結論から書きますが、精神障害というのはその大部分が誤診だと思っています。

もっと言うと、

雰囲気

で、もっともらしい病名を「作っている」のだと思っています。

  

精神障害に関しては、僕はかなり懐疑的です。心理学の本はそれなりにあれこれ読みましたが、素人学問であって、プロではありません。なので意見としては素人の域を脱しませんが、少なくとも今の僕の考えは

脳になんらかの異常がある

つまり機能的に障害を受けていることが精神障害の大前提ではないかと思っているのです。逆にいうなら、脳に障害がない場合は、いかなる場合も「精神障害ではない」と僕は思っているのです。

心理については僕はユングを支持していますが、精神医学についてはR.D. レインを支持しています。僕なりの判断では、R.D. レインの理論は「精神病などというものはなく、精神のゆらぎは人生の過程、環境から起こる」というものです。

例えばヒーローの冒険にたとえると、旅には困難もあり、また喜びもある。一様ではないのであって、その時々に色々な心理状態になる。様々な過程で明るくなったり落ち込んだりする。その揺れ幅が大きいものを精神病と呼んでいるに過ぎないのではないかというものです。

   

シェルショックという言葉をご存知でしょうか?

戦争中、例えば塹壕に隠れて爆弾から身を守るような経験をしているうちに、その恐怖が染み付いてしまって、戦争から帰ってきても普通の日常生活が送れなくなるというものです。PTSD(心的外傷性ストレス障害)と呼ばれるものの一種です。

それは本当に病気なのか?

僕は実は違うのではないかと思っているのです。戦争のその状態に「適応」してしまっただけではないかと思うのです。実は多くの人はこれと似たような経験をしていると僕は思ってますよ。こう考えてください。

貧乏な人がなんらかのきっかけで大金を得てしまった場合、その人はどうなるのか?もちろん普通に暮らす人もいれば、大金をバンバン使って贅沢三昧の人もいますよね。やがて金がなくなったらどうでしょう?その人はどうなるでしょう?

もちろん「大金を使っていた生活が忘れられずに、同じようなことをしてしまう」のです。借金を重ねたりだとか。

いやいや大金なんて手に入れたことがないからわからない。などとは言わせません。会社に勤めて給料が上がる。すると、その給料に見合った生活水準になりますよね。車を買う。家を買う。半額品から通常料金のものを買うようになる。ランチを楽しむ。生活水準が上がる。じゃあそんな時に会社が倒産したらどうでしょう?

会社倒産を家族に言えずに苦慮するドラマなんてのがありますよね。

一度上がった生活水準はなかなか元に戻せない。下げるのは一苦労どころではない苦労があります。

戦争から帰ってくるのも、宝くじに当たって遊び呆けて無一文になるのも、会社倒産で生活が立ち行かなくなるのも、生活水準が下がるのも、実は

心理過程としては同じ

ではないですか?いずれも環境がガラッと激変するのだから。

なのに戦争の時だけ障害だとするなら、貧乏になったりして落ち込んだ時もまた病気扱いでいいのではないかと思うのですが、誰もそれは病気とは言いませんよね。自業自得などと言われておしまい。おかしくないですか?

   

人はその環境に嫌でも適応してしまいます。適応できないという適応の仕方もあります。

楽しいから適応
楽しくないから不適応

だと考えていませんか?そうではなくて、必ずなんらかの形で適応する。そして適応した環境がまたいきなりガラッと変わる。極端から極端に環境が変わったらどうでしょう?また、極端ではないものの、何度も何度も頻繁に環境が変わったら、やっぱり即座には対応しきれないですよね。いずれにしても時間がかかる。そしてその間は心が不安定になるのです。適応している最中なのだから。

その不安定な状況を一方では病気と呼び、一方では自業自得と呼ぶ。

おかしくはないですか?

僕はおかしいと思います。

  

なぜ「病気」にしてしまうのか?というと、これは極めて簡単で、病名をつけて診断すると安心するからです。

心が不安定なのは病気だからなのかぁ。
そうかぁ、病気かぁ、病気なら

「仕方ない」自分のせいじゃない。

このように自分を納得させることができるのです。病気だと納得することで、その環境に「適応する」。

これが多くの精神障害とか精神病とされているものの根本だと思います。

  

ちなみに、視点を変えるなら、

病気にすることで、医者が金を請求できる。

というわけで、僕は精神障害というのはその大部分が誤診だと思っています。理由は上記の通り。脳になんらかの障害がない限り、それは精神の揺らぎ、適応する過程に過ぎないと思っています。素人学問です。