「まずは自分の目で確かめる」のは無理です

世の中の事象や主張、物事に対して、まずは自分の目で見て確認するべき、してほしい、などというもっともらしいことを言う人がいますが、それはほぼ100%無理です。

なぜなら、多くの人は、まずそこに至るまでのものが欠如しているからです。

すなわち、知識がない、あるいは不足しているのです。

誰かを馬鹿にしているのではありません。

僕は綺麗事が大嫌いなので、はっきり言いますが、例えば、少なくとも僕自身には科学的な知識がありません。科学的な知識がない僕が、

どうやったら科学的な判断ができるのか?

ということです。じゃあ学べばいいじゃないか!と言うかもしれませんが、そんな時間はありません。稼がないと飯が食えない。飯を食うには仕事をしなければならず、仕事は少なくとも8時間は続きます。多くの人はもっと働いているでしょう。通勤時間、睡眠時間、食べる寝る、基本的なことをしたら自分のために使える時間は数2,3時間。子供がいるお母さんなんて自分の時間はほぼありません。そしてみんな「疲れています」。

そんな状況で果たしてしっかりと学べますか?

僕には無理です。すみません。能力もありません。そんな自分が物事を自分の目で見て確かめようとしたところで、科学者の主張が正しいのか、あるいは専門家と呼ばれている人の主張が正しいのか、そもそもその主張を確認しようにも、科学的にも専門的にも確認できないのです。そもそも何をもってして正しいのか?という実に深淵な大問題もあります。

また、僕は各種のデータをしっかり見ることもできません。なぜならデータをしっかり見る訓練を受けたこともほとんどないからです。もちろん学校ではグラフの見方などを習います。円グラフ、棒グラフ、折れ線グラフ。誰だって知ってますし、そのちゃんとした見方なんて誰でもわかるよ!と思えます。一見簡単そうですが、実はそのグラフ、

あえてわかりやすいように加工する

ことがよくあるのです。あるいは「意図的に」加工することだってあります。ネットではその加工したグラフの矛盾が話題になったりしますが、多くの人は気づいてません。その証拠に、その矛盾が言われ始めるようになったのは、ネットが発達してから。グラフの加工を「その時だけ」している、あるいはしていたなどというのはそれこそ頭がお花畑なのであって、過去から遡ってずーーーっとマスゴミの都合に合わせて加工している、していたと考えるのがもっとも自然でしょう。

  

ところで、判断に必要なものがほとんどない状態で、では何をって判断しているのかというと、多くの人は実はテレビなどの「メディア」を圧倒的に頼っています。僕は実は日本人はとても誠実だと思っているのですが、信頼度に対する調査があります。

総務省
第1部 特集 進化するデジタル経済とその先にあるSociety 5.0
第4節 デジタル経済の中でのコミュニケーションとメディア
(2)各種のメディアに対する信頼の状況
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114120.html

多くの人が新聞とテレビを信頼しているのです。何も多くの人は馬鹿だとは言いません(ネタ的にはそう書くこともありますが)。逆です。上記の僕のように多くの人は「自分はものを知らない」と判断しているのではないかと僕は思うのです。忙しくて学ぶどころではない。予備知識がないからわからない。じゃあどうするのか?

信じるしかない

じゃないですか。自分が正しいと言い張る人以外は、何かを信じるしかないほど、高度な情報社会になっているのです。

僕はどうかというと、僕はテレビは見ないし新聞も読みません。その上専門的な知識はないし、そう言う意味では判断能力にも著しく欠けています。ではどうするのか?

以前も実は似たようなことを書いていますが、「自分が信頼できる科学者や専門家の意見を信じる」これだけです。これしかしていないといってもいいです。ではどうやってその専門家を信頼するのかというと、「これまでの経験からこの人は信頼できる」と判断するのです。つまりは自分のこれまでの人生経験をもとにして判断しているのです。

僕にはそれしかできません。

多くの方も実は似たような考えで物事を判断しているのではないかと思います。多くの人は個人ではなくメディアを信頼するけれど、僕はメディアの代わりに個人を信頼する。その違いです。

また僕は集合知も信頼しています。ネットのことですが。ネットには当然様々な意見が飛び交っていますが、多くの人は、自分の経験を生かして、情報を取捨選択しています。むしろそれしかできない。

その選択の過程をして「自分で確かめている」と思いがちですが、僕はそれは違うと思います。確かめているのではなく、信頼して選んでいるだけです。

繰り返しますが、確認なんてしていません。選んでいるだけ。だからそれが正しなんていう判断はできないのです。正しいんじゃないかな?なぜなら信じてるから。という形になってしまうのです。

けど、だからこそ、

自分の持つ知識については誠実に開陳しないとなりません。人は自分の経験から判断して信じることしかできない。自分の専門分野以外についてはそれしかできない。科学者であっても自分の専門分野以外については同じことです。ノーベル賞を取った学者は万能ではありません。一分野に秀でているだけです。専門家も同じ。

だからこそ自分に正直になるしかない。

知らないものは知らない。わからないものはわからない。そう認めた上で、信頼できる人の意見を信じるしかないのです。