愛のない結婚だから当然失敗します。断言できますよ!

注意!今回のこの記事は最初から最後までずーっと偉そうに書いています。不愉快になられるのは良くないので、嫌だという方は恋愛ドラマなどを見て、イケメンやら美女に癒されて、思う存分現実逃避をされてください。

  

結婚に必要なのはです。金は人生に必要なもの。だから相手に経済(の安定)を求める異性とは絶対に付き合わない。これはもう鉄則です。

が。

書いたかどうだか忘れましたが、もう一つ、結婚に際してものすごく大事なことがあります。それは

相手が「セックスで感じるか」

実はこれって死ぬほど重要だと僕は思っています。演技ではなくて本当にという意味ですよ。AVのように悶えたら感じてるってことではないですよ。ある意味感じるっていうのは「自分勝手」なことなので、相手に合わせることができないことだってあります。相手に合わせるセックスは実は女性が感じてない場合が多いのではないかって僕は思ってますよ。

上に乗っかっている相手を見ないようにして適当に声出しながら「早く終わらねーかな」っていうような女性の話を僕は本当によく聞きました。それだけでもドン引きですが、その時は「本音」とやらが大流行した時代。

女性の本音が「いかに醜いか」を僕は思い知りました。

セックスが好きで本当に感じているなら、自分からしたがります。好きなことをしたがるのは人間なら当たり前。美味しいご飯を食べたがるのとなんら変わりありません。セックスのことはなかなか本音を言えない世の中ですが、そしてセックスは実は個人体験ですが、だからこそ、そこは妥協できない部分があるし、本音が出やすいことでもあります。

   

ところで、理想のカップルとはどういうカップルなのか?という問題があります。僕の意見はズバリ

バカップル

です。周りから見てドン引きするくらいにイチャイチャしている。自分たちだけの世界を作ってる。それがバカップルですが(バカな行動をして迷惑かけているという意味ではないですよ)それこそが僕の理想です。そして今現在まさにそんな感じですね。

バカップルって実に心地よいですよ。他人の目なんてどうでもいいというのを実感しています。

相手がいるって本当にいいなぁとしみじみ思います。

愛のない結婚では、いや、もっと言うとそもそも恋愛においては、どうしてもスペック重視となり、減点方式、あるいは加点方式になってしまって、100%必ず打算が働くとぼくは確信しています。僕はバツイチですが、経験からの実感でもあります。

「金がないと結婚は大変」「周りに自慢したい」「安定した生活がしたい」という話を何度聞いたことか。そしてそういう思いだからこそ必ず相手を「評価」してしまうわけです。そしてバカな議論ですが、減点方式と加点方式の差を批評してる記事も出回ってます。どっちもダメなのにね。

けれど、一方では「世の中はそんなもの」だと、若い頃の僕は思ってました。

でも、そう思いはするものの、例えば

結婚した先輩は楽しいのだろうか?

とずーっと思ってもいました。どう見ても楽しそうではないからです。結婚したらセックスし放題のはずなのにいつも苦笑しているのです。つまらなそうなのです。したり顔で「結婚なんてこんなもの」などと飲み会で説教まがいの話を何度も聞いたりとか。

結婚は二人で頑張る共同作業

というような考え方がありますよね。そうなんだろうなと漠然と思いながら、いざ自分が結婚してみると、共同作業失敗。全くだめでした。相手のあることなのでここでは失敗理由は書きません。僕も悪かったと思っていますが、相手も相手だと思っています。共同作業なのだとしたら、自分だけが悪いなんてことはなかなかない話。なるほど、共同作業というのは「離婚のための方便か」と思ったものです。

結婚に関しては、みんなもっともらしいことを言う。しかし、現実はそうはなってない。

なぜなのか?

   

結婚は全然共同作業ではないと僕は言いたいですね。お互いが「この関係を保とう!」などと頑張るのは確かに共同作業ですが、それは結婚しなくてもできるし、そもそもそれって金もらってやってる仕事と何にも変わらないのではないでしょうか?

結婚というのは会社の社員関係ってことなのか?

違うと僕は思います。

また、よくしたり顔で「相手の嫌な部分と折り合いをつける」とか言ったりしますが、それって相手を受け入れることができないという前提があって、だから折り合いをつける、つまり、

相手を拒否してるけど、それだと生活が続かないから工夫します!

ではないでしょうか?最初に「相手を拒否している」ので、否定から始まっているということに気づいてますか?。人間関係って、相手を拒否している時点でもうアウトではないですか?

なぜこれに気づけないかなぁと思いますね。

拒否している相手となぜ一緒に生活するのか?金のため?世間体のため?見栄のため?なんのため?

相手は他人で、それぞれに個性があるからどうしても相入れない部分があるなんて、一見最もらしいことに騙されがちですが、結局は嫌だという感情をオブラートで包んでるだけではないですか?離婚は金が続かないか、あるいは相手の嫌な部分を庇いきれなくなっていくことから始まります。そして必ずその嫌な部分が増幅されていきます。嫌なものは嫌だと絶対にそうなります。

   

僕は、愛してない相手と結婚すべきではないと考えています。

それで独身なら仕方ないのです。愛がない相手に金なんて1円も渡せません。

あ、だから僕は風俗には行かないのか!

  

そしてセックス。

セックスを嫌がる女性は本当に多いと思っていますが(適齢期の女性の半分はセックスが大嫌いだと僕は思っています)、そういう相手と付き合うのは、多かれ少なかれ全てにおいて負担でしかありません。

セックスが嫌いな女性はそもそもセックスでは感じない。だからセックスが嫌いなのです。

感じるし気持ちのいいものを嫌いになる人はいません。うまい料理を出されてその料理を憎む人はいない。美味しくないから嫌いなのです。食事もセックスも同じこと。セックスが嫌いということは感じてないのと同じこと。

そしてセックスで感じない女性と接するのは、口をきくリカちゃん人形と接するのと1mmも変わりありません。

スキンシップはできないし、金がかかるばかりだし、時として「見た目がいい」という見返りすらない場合もあります。それじゃあ長続きしません。じゃあ見た目が良いなら長続きするかというと、それもない。美貌は劣化するからです。

しかも相手はセックスでは感じないが故に「代償」を必ず求めます。例えば金とか金とか金とか……

美味しくない料理を食べたいですか?しかも毎日ですよ。それとも金のために世間体のために我慢!ですか?まずい料理を食べさせられて、しかも金までとられるのです。大金を。

正気か?

としか思えません。

     

ところで、セックスに関しては、要注意な点があります。

思う存分セックスさせてくれる≠セックスで感じている

ということです。やらせてくれるからセックス大好きではないのです。感じるからやさせてくれるではないのです。相手を捕まえるためにセックスという餌を撒く。実にありがちな罠です。立派なハニトラです。ハニトラに騙される人のなんと多いことか。

セックスで感じない女性はいとも容易くセックスを「利用する」のです。

僕から言えるのは、普段からべったりイチャイチャしたがるかどうかがとても大事ではないかということです。そもそも普段からべたべたしたがるのはそれが「心地いいから」です。嫌いなことを進んでしたがる人はいません。セックスは頑張るけど、普段は潔癖症気味なら、僕ならまず絶対に相手にはしませんね。豹変する可能性が高いからです。結婚した途端にあれこれ理由をつけて体に触れさせなくなる可能性があるからです。セックスはスキンシップ。すごく大事なことです。

また、セックスを「させてあげる」の女性はNG。本当に気持ちいいなら「させてあげる」ではなく自ら「したがる」のではないでしょうか?スキンシップは好きだけどセックスは嫌いというのは、食事は好きだけど食べることは嫌いというくらいに意味不明なのです。セックスとスキンシップは密接に連動しています。

セックスはスキンシップ。セックスは子作りの前にスキンシップなのです。これが嫌いだというのは、僕から言わせて貰えば致命傷。どれだけ綺麗な女性でも醜く感じます。大袈裟ではなく。スキンシップ拒否は即ち「相手を拒否」なのです。

  

結論です。何度でも言います。結婚に必要なものはたった一つだけ。愛のみあればいいのです。愛があれば共同作業なんて言葉はそもそも出てきません。仕事じゃないんだから。男女が同じことをするのが結婚ではないのです。仕事をそれぞれが分けて行うなんてどっかの会社じゃないんだから。お互いができることをすればいい。そしてそれを丸ごと受け入れたらいいのです。自分の人生と相手の人生を共有するだけなのです。

折り合いをつける必要もありません。ただ受け入れるだけ。愛しているから受け入れるだけでなのです。

もちろん愛はセックスを丸ごと含みます。

金は各々が稼げばいいじゃないですか。金は人生に必要なもの。各々が稼いで、それを持ち寄ったら、嬉しさも2倍ですよ!ちなみに僕らの旅行は綺麗に折半、お互いに等分の金を毎月貯金して、それを費用に当てています。それで楽しく旅行してます。僕は長年一人旅をしていて、本当に楽しかったのですが、今では二人旅の方がはるかに楽しいです。

相手を受け入れたら、色々なものが2倍になります。ひょっとしたら苦しみ悲しみも2倍になるかもしれませんが、マイナス面だけではなく、プラス面も2倍になります。

いいものですよ。

    

最後に。

愛する人は「見つける」ものではありません。出会うものです。そして出会いを計算すべきものでもありません。自ら出会いを作ろうとしても無駄です。僕はもうこれはタイミングしかないと思っています。偶然とかたまたまとかの類。

愛する人と出会えない場合もあるのです。それが人生。

出会えなかったらそれまでです。

仕方ないと諦めるのみだと思います。実際、僕は完全に諦めていました。そもそも一人でも本当に全く寂しくなかったのです。生き生きとエンジョイしていました。人生を楽しんでました。

けれど、世の中は面白いもので、完全に諦めたのに今の幸せな状況になっています。

ついでに書いておきますが、実はこのブログを始める前から連れはいました。けど「いない方がいいかも」「プライバシーってことでいないことにしておこう」などと考えてしまいました。心霊スポットの件で、動画の注目を引きたいが故にここは心霊スポットだとアピールしてしまったこともあるおっさんなのですが、やはり下手な計算はよくないなぁと痛感しています。こういう本音を書くときに心苦しくなるからです。

さて、偶然が全員に訪れるとは限らないから、僕の意見などなんの参考にもなりませんが、それでもやはり結婚に必要なものは愛だと言い切ります。愛がないなら結婚すべきではないとすら言い切ります。

子供が欲しいなら金を渡して、あるいは渡されて、それでセックスすればいいだけの話。ぶっきらぼうな言い方かもしれませんが、実際の今の多くの人の結婚はまんまそれですよね。

養えと。子供だと。

でもそれって金を渡して売春するのとなんの違いもありません。長期間か短期間かのタイムスパンの違いだけです。

僕は売春する気はないのです。だから愛なのです。

そしてセックスで感じないセックス嫌いの女性には1mmも優しくしようなどとは思いません。興味自体がないので。リカちゃん人形には興味ないのです。この世に生きてる、愛くるしく生き生きとした女性にしか興味がないのです。

そんなに子供だけが欲しいなら、試験管でも養子でもすればいいのです。

子は鎹の意味がわかりません。子供は子供です。

そういうことなのです。

  

力説しました。けど上記文章には欠けているものがあります。じゃあ愛ってなによ?ってこと。

そのうち書きます。