アフガンの情勢には恐怖しか感じない

狂人集団が国を乗っ取り、その結果国が大混乱。

僕にはそうとしか思えません。

驚くべきなのは、狂人集団を「なんとしても認めるんだ、認めなければならない」というような一定数の異常者がいること。

綺麗事を言いたいというのはわかります。そういうレベルの輩なので。話し合えばわかる。圧力をかければいい。知ったような口ぶりで訳知り顔で、キリッとしたモノ言いをするのです。

僕にはそれが不思議でなりません。

世の中には絶対に分かり合えない人間が(割とたくさん)いる

というのが僕の大前提。だからこそ基本的に話し合いは無駄だと思っています。タリバンとの話し合いは無駄。

そういう僕を哀れな目で見る人もたくさんいることでしょう。哀れな人だと。信じ合うことができない人なんだなと。

   

イスラム教では「神の前に人は平等」なのであって、人と人との関係は「どうでもいい」。神の前で「だけ」しっかりすればいい。そういう「論法」です。実はキリスト教もそうだったりするのですが、キリスト教の場合は、良くも悪くも世俗化してしまったために、狂信の部分が綺麗さっぱり削ぎ落とされてきた歴史があります。

僕個人の考えですが、実はキリスト教は堕落してきたのではなく、世俗化して、つまり世の中に揉まれて、その結果として神が絶対条件ではなくなってしまった。穏やかな民間信仰的な立ち位置になったのではないでしょうか?僕はそれをとてもいいことだ思っています。もしもキリスト教が「清らかなまま」だったとしたら、実はイスラム教と同じになっていたことでしょう。なので当然のことながら強烈な原理主義者も出てきて、

神に従わない輩は殺戮上等!

となるに違いありません。キリスト教には基本的に聖戦という概念はありませんが、神のためという論法さえあれば十字軍を結成するような連中です(実際にはもっと面倒なドロドロした原因があったけど)。

世の中を善と悪とに分けたがる宗教は、善のためなら殺戮上等!が基本。

そもそも「神を信じないと幸せになれない」というのは今現在の理屈からすれば立派な差別です。

そんな存在が神と呼べるのか?といえば100%神ではありませんよね。俺の仲間に入らないと絶対に認めない!なんて、どこのヤクザだよというレベルです。少なくとも日本人の大部分は、神を「慈悲深い存在」だと思うのではないでしょうか?そうならば、キリスト教の神も、イスラム教の神も、せいぜいヤクザの親分でしかありません。いい思いしたかったら俺の舎弟になれ。そして言葉巧みに騙されて(天国に行けるぞ)、いざ舎弟になったら、あとはいいように使われるだけ。権力闘争があって、騙し合いだの殺し合いだのむちゃくちゃがあって、ほんの一握りの輩がいい思いをする。

実に馬鹿げています。

  

余談ですが、神の(あえてこう言います)"正しい"形態は「多神」なのだと僕は思っています。神は一人ではなくて、あらゆるものが神なのだというのが一番しっくりきます。あらゆるものが神なので、決して特定の人にエコ贔屓をしない。困っている人がいたら助けてあげて、頑張ってる人は見守ってあげる。ただのそれだけで、神自らは人に口出しをしない。死んだら基本的にはみんな仏様。

けど、これは日本だから成立するのでしょう。

地続きで「他民族」が混じり合う過酷な世界では、むざむざ殺されないためにも「誰かの後ろ盾」が必要で、絶えず暴力に対する備えが必要なのだから。

日本の神はいつでもニコニコ穏やかなのに対して、キリスト教とイスラム教の神(実はどっちの神も同じヤハウェ)は常に顰めっ面で絶えず怒っていて「俺の言うこときかない奴は全員地獄行き!」少なくとも僕はヤハウェなんて輩は1mmも好きにはなれません。

   

どうしても話し合いたいのなら、どうしても必要なものがあります。それは圧倒的な武力。本気で殴り合ったら絶対に勝てない、そう相手に思わせた時だけ初めて「話し合い」は成立します。どちらも損をしない場合を除き、話し合いというのは結局は「力関係」が露骨に出るのです。だから話し合いというのは形だけ。実は力関係の確認でしかありません。

タリバン相手に話し合える存在は限られています。

僕は専門家ではありませんが、それでもやはり今回のアメリカバイデン政権の動きは大失態だったと思います。サヨク特有の綺麗事が全部裏目に出てしまったのだとしか思えません。キチガイ相手に無条件というのはありえないからです。トランプ前政権のように「わかってるな?(わかってないならぶっ飛ばすけどいい?)」としっかり脅して「嘘ではない」と威嚇もする。相手はキチガイなのだから、胸襟を開いてわかりあうなんて無理なのです。相手側というのは(彼らがその教義を信じてるか信じていないかは別として)

少なくとも俺は神の側についていて、神の側は正義だという狂信

をバックに物を言う連中。

自らを絶対善だと決めつけている相手に対しては、何を言っても都合よく解釈されるのがオチ。俺たちが損をすることは全部悪!となるのです。そして相手が悪だとなったら容赦はしない。まさに今アフガンで起きていることです。

僕は散々サヨクを批判していますが、タリバンもまさにそう。まんまサヨクです。キチガイ連中です。

   

ところで、サヨクに対してあまりにも散々書いてしまったせいで、ただでさえ少ない閲覧者がさらにガクッとおちてしましました。笑

が、それでも僕は嫌いなものは嫌いです。だから何度でも書きます。

サヨクには理論だ理屈だなんてのは一切通用しないし、もちろん綺麗事なんて無駄です。あらゆるものを自分のいいようにしか解釈しない。できない。これがサヨクです。そういうサヨクを封じ込めるのは一つしかありません。

圧倒的な物理的暴力

結局はこれなのです。狂信=サヨク=キチガイを抑え込めるのは、封じ込めることができるのはこれなのです。いくらあれこれ言っても、古今東西、どの時代であっても、結局はこれ。

別に悲観して言ってるわけではなく、ひねくれているわけでもありません。結局、力が大事なのです。

そしてその力がなくなったらどうなるのか。

今回のアフガン問題は、それをまざまざと見せつけてくれているのだと、僕はそう思っています。まさに恐怖の世界ですね。