あとで更生するなら殺人OKという教頭先生

中川翔子、旭川いじめ中2自殺に怒り「こんな事を言う先生が居るなんて恐ろしい」5万超"いいね"ツイート反響
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e92b33d45a070dc7722179224d27cac97bf147d

なかなかの鬼畜な教頭なので、僕も言わせてもらって大丈夫でしょう。

経過を見てきて思うのは、事件を取り巻く異常な思想。そして案の定というか、まさしくというか、教頭の発言の異常性に対する嫌悪が巻き起こったことです。

断言してもいいのですが、教頭は

今俺良いこと言ってる!

と確信していたはずです。教育とはこうなんだと本気で思っていたのです。だからこそこういうことを言うのだし。

これがサヨクですよ。

   

かつて、

死んだら肉塊で何もモノを言わないのだから、生きてる方を助けるべき

的なことがサヨク界隈では言われていました。死んでしまったものは仕方ない。生きていれば立ち直るかもしれない。更生させる方が大事などという人もいました。

僕はその意見にはずっと大反対でしたし、これからも変わりません。だからずっとそう主張しています。理由は簡単で

死んだ人は生き返らないから

です。現状復帰できない程のことをした輩が更生?

はぁ?

これが今でも変わらない僕の意見です。死んだら元には戻らない。なのに更生という意味がわからないのです。殺人は基本的には死刑。これが変わらない僕の意見です。関わったものは基本的に全員死刑です。それの何がどうおかしいのか、どんなインテリさんもそこは濁して明確な答えを出そうとはしません。

簡単な問いに答えてくれたらいいのです。

自分が殺されそうになったら、相手を許せますか?
自分の愛する人が殺されたら、相手を許せますか?

  

どんな報道を見ても、被害者の親族が心から納得しているという話を聞いたことなど1度もありません。死んだら生き返らないからです。加害者が更生したら被害者は生き返るのか?当然生き返りません。遺族もただただ辛い思いをするだけです。

何が更生だ!ふざけるな!

取り返しのつかないことをしたのだから、更生もクソもありません。

   

こういうことを書くと「じゃあ戦争は?」的なことを言う人が必ずいますが、この際だから戦争と個人の殺人の違いを書いておきます。

戦争は「お互いの国が同意して殺し合い」
個人は「同意なきまま一方的に暴力を振るって殺す」

です。戦争ならやられるかもしれないからこっちもやる!という意味ではお互い様。一方的ではないのです。しかし個人間の殺人はほとんどの場合が「一方的に殺される」だけ。

一方的に殺されるとわかって、それでも

「俺は私は殺され損だけど、殺したあんたは更生していい思いをしてこれからの人生楽しんでね!」

なんて言えますか?

  

ついでにこれにも言及しておきます。

   

上記記事では趣旨が違うの触れないでいますが、実はこれ、殺される確率は2分の1。つまり割合的には平等なのです。その場合、どちらかが確実に死んでしまうという話で、ならどうするかということ。当然価値のある方を残したいのだと。ただ、どちらが価値があるのかを判断するのが難しいということ。

戦争の問題であれ、トロッコ問題であれ、一方的ではないということ。そして個人間の殺人は大抵の場合は一方的だということ。

いじめも、そして個人間の殺人も、一方的なのです。 

 

さて、旭川いじめ事件ですが、僕の意見は

何が10人の未来だ!10人とも死ねばいいと思います。人を殺したのだから。

10人の未来なんて未来永劫無くなるべきです。人を殺したくせに何が更生だ!

ついでに

教頭も社会人としては終わらせてあげるのがいいですよ。

教頭はそうされても別になんとも思わないはずです。

あとでそうした方が更生すればいいんだろうから。