資本主義は最適解!

サヨクは全員キチガイだけど、たった一つだけ、

それはそうだよね

と思うことがあります。

そのたった一つの同意、

それは

とにかく排除したがる精神

です。ただし、これには説明が必要なのであって、サヨクは

いついかなる時でも自分が正義で、自分だけが気持ちよくて、そういう自分をちょっとでも腐すやつはどんな手段を使ってでも全排除

なのに対して、僕の場合は

サヨクとの話し合いは無駄

ということ。

前者は「自分と自分のシンパ以外は全部徹底的に排除」なのに対して、僕の場合は「サヨクだけは無理」ある意味これも排除ですよね。

   

話し合いの前段階から「自分だけが正義」という僕ちゃんあてくし連中には、毎日毎時間毎分のようにうんざりしています。このうんざり感は積み重ねていくと、無力感か、憎悪かのどちらかになっていくと思うのですが、僕の場合は憎悪

なので本当に心のコントロールが必要となるのですが、そうすると「なんでキチガイのために自分の心をコントロールせにゃならんのだ?」という憤りが湧いてきます。

例えば中国の場合だと不買などで中国製品をできうる限り避けたりできるだけ遠ざけたりしているのですが、一方では「なんで日々の買い物にまでこんなに気を使わにゃならんの?」と思うわけです。

本当にストレスなのです。

   

さて、ここで仮定の話となるのですが、仮にそんなストレスを抱えている僕が独裁者、あるいは権力を思う存分に振るえるような状況だったらどうでしょう?

サヨクは全員排除!手段は問わない!

となっても不思議ではありません。僕は聖人君子じゃないので。物語では「悪魔が憑依する瞬間」という感じですね。あるいは頭の上で天使と悪魔が言い争っている感じでしょうか。

悪魔「どうせサヨクなんて全員バカでキチガイだから、この際やっちゃいなよ!」
天使「いいえ彼らも同じ人間。ひょっとしたらまだかろうじて理性があるかもしれない」
悪魔「んなもんねーよ!ねーからあんなに二枚舌だし。いいからやっちゃえよ!」

かくして以後どんどん暴力的になり、気づいたら

憎んでいるはずのサヨクに自分がなってしまった!ガーン!

なんてことになっても不思議ではありません。

世の独裁者というのは、まさにそういう過程で独裁者になって行ったんだろうなぁとは思います。

独裁者は案外、というか、若い頃は志が高い人が多い。それどころか、清貧が行きすぎて狂信的だったりします。簡単に言うなら

いい人

が多い。そしてそういう人は得てしてサヨク的な発想に飲み込まれやすいのです。なぜなら「自分は正しい」から。

    

資本主義はとてもいい制度だと僕は思っています。欠点があると言われますが、まさにそこがいいのです。綺麗事を言わない部分なんて特にいいですね。

比較的欲望に忠実

なのはとてもいいことですよ。なぜか多くの人は

欲望を抑えることはいいこと

だと思っていますが、僕はそれはやはりどう考えてもおかしいと思うのです。抑えるから爆発するのです。小出しにすればいいのです。一気にどかーん!ではなく、毎日少しずつ欲望を吐き出す。そもそも欲望=汚いという発想そのものが貧困で著しく知性に欠けているとしか僕には思えない。

幸せになりたいというのは立派な欲望ですよ。

そして幸せになるためにはいい暮らしをしなければならず、いい暮らしのためには揉め事を少しでもなくしたいし、便利な道具や美味しい食事も欠かせません。心穏やかに過ごすためにも金は必要です。

欲望をコーティングしないで、正直に認め、それを小出ししていくために最適な制度。

それは資本主義ではないか?

と僕は思います。

  

もっというなら、平等は人をダメにするとも思います。差はやはりどうやってもあるのです。それは仕方ない。諦めるしかないのです。ブサイク相手にあんたは美人だというのは不誠実の極みです。嘘つきです。金持ちと貧乏人はちゃんと分かれています。各自の能力にはやっぱり差があります。どの時代にもどの世界にもどうやっても何がなんでも差はあるのです。そしてその差をなくせなんて綺麗事をいくら言っても、言えば言うほど差ができてしまうのです。消せば消すほど拡散するネットと同じ。

僕は金持ちの世界を知りません。実はこれって全くもって不平等でしょ?彼らの行きつけの店になんて行けないし、会員制のクラブにも行けないし、社交なんて言葉とは無縁。けど僕はなんとも思ってないし、向こうもなんとも思ってない。それが実態です。そしてそれを不平等だとも思ってない。そもそも世界が違うのだから。

差というものはどうしようもなくある。その差を「平等」で無理やり平にならそうとしたって絶対に平にはなりません。まさに多様性です。多様性というのは残酷なのです。なぜ綺麗事のように言うのか、僕には全く理解できません。

     

キリスト教徒の欲望は

死んだら天国に行きたい

ってこと。そのことのためならなんでも頑張れる。けど、言い方を変えるなら

天国に行きたいという欲望のために日々頑張ってる

ってこと。綺麗ぶって「清く生きていけば天国」なんてぬかしてますが、

今苦しくても後で楽するもんねー

ってだけで、結局は自分第一なのですよ。それを綺麗な言葉で飾っているだけ。欲望の質が違うというだけです。

イスラムなんてもっと露骨な欲望の発散ですよ。彼らの殺人はサヨクの「僕ちゃんあてくしを認めない輩は全排除」とまんまイコールなので、そりゃあサヨクはイスラムにシンパシーを感じますよ。

ダメ人間ほどイスラムに傾倒するってもんです。

何せある意味強制的に「自分を正義の側に立たせてしまう」思想なのだから。

   

結局のところ、欲望は抑えられません。出すしかありません。その出し方の問題なのです。人に迷惑かけてまで出したいとは思わないのが日本人だと思いますが、それでも出したいですよね。

その出し方を学ぶしかありません。どうせ欲望を出すなら、気持ちよく出したいじゃないですか!そのための最適解が資本主義。

ほどほどに儲けて、生活を豊かにする。
適度に言いたいことを言う。

実にいいことじゃないですか。

逆に

欲望を抑えよう!
綺麗に生きよう!
みんな仲良く!

というのが社会主義共産主義ですが、どうでしょう?

ものの見事にどれもこれも全部腐ってます。

多くの人の欲望を極限まで抑え込んで、その分だけ一部に集中するのは全部一緒。そして全く悪びることもなく。何せ「正しいのは自分」「我こそ正義」だから。

どこまでいっても、誰であっても、サヨクはキチガイで社会主義共産主義もまた狂って役に立たないのは、つまりはそういうことなのです。

そしてそれともう一つ。

社会主義共産主義は、

言い出しっぺの欲望を「極限まで叶えよう」

ということ。そのために残り全員の欲望を抑えてしまうこと。

これがどれだけの鬼畜行為か。まあ、それがわからないからそんなキチガイ思想にハマるのです。思想の根幹が既に

常に自分だけがいい思いをしたい

という鬼畜思想なので、そりゃあキチガイほどこの思想にハマるよなぁ。