感情論の正体
昔、こういう言い方が流行りました。
科学でもわからないことがある
超自然現象や、そう見えることが起きたときによく言われました。そしてもう一つ、この手の話のとっかかりとしてこういう言い方がされていました。
私は〇〇の存在を信じる!
例えば宇宙人とか、あるいは幽霊とか。超自然現象を語るときにはまずは「あなたは信じるか?」というところから入っていったのです。そしてその話題の結論として言われたのが、
世の中には科学でもわからないことがある
だったのです。具体例で書くならこんな感じ。
あなたは宇宙人の存在を信じるだろうか?
宇宙人の存在については、多くの証言もあり、それらが全て嘘だとは思えない。
世の中には科学でもわからないことがあるのだ。
今でも通用し、そして多くの人が飲み込まれているこの論法。
では、なぜ多くの人がこの論法に飲み込まれているのか。それを説明したいと思います。
実に簡単なのです。
僕を含めて多くの人は実は
科学がどういうものなのかをほぼ全く理解していない
これがミソなのです。
多くの人は自分のことを「知っています」よね?仮に自分で自分のことなんてわからないなんていう人がいたなら、それは漫画の読みすぎかひねくれものです。断言しますが、そこに存在するあなたが自分そのものです。醜かろうとあるいは美人だろうと、イケメンだろうとブサメンだろうと、あなたはあなた。そしてあなたは「自分の心」を知っています。腹が減ったら飯を食うし、うんこがしたくなったらトイレに入るし。そのときに「私は本当にうんこがしたいと思っているのだろうか?」などと考える人はいません。他人から見たら「なんでそんなことするの?」と思うことでも、当の本人は「ちゃんとわかってやっている」のです。
自分の心は自分が一番知ってる。これは事実です。では、その心がこう思ったらどうでしょう?
俺は宇宙人の存在を信じてる!
もちろんその通りです。信じてるのです。それ以下でも以上でもありません。
では次にこう考えてみてください。
自分は科学をどれくらい知っているのか?
多分多くの人はよくわからないと思うことでしょう。
さて、ここで比較しましょう。
よくわかっている自分の心と、よくわからない科学。
どっちを「信用しますか?」
これが上記の論法の正体です。わからないものは信用できない。だから「科学は信用できない」のです。科学というのはすごいらしいけどどうすごいのかわからない。数式を見せられても説明を受けてもわからない。そんなものはやっぱり信用できない。いまいち信用ならない。
感情論の正体はこれなのです。
科学者や学者は科学を学問を知っています。同時に自分の感情も知っています。だからより容易に両者を比較できます。科学的な態度とはそういうことです。感情論が常に一方的になるのは、一方しか知らないからです。自分の心しか知らない。そしてタチが悪いのは、自分の心しか知らないが故に
自分が正しい
と思い込んでしまうことで、これがサヨクの正体でもあります。何を言おうと自分が正しいと思い込む最大の理由は、
無知であるが故に自分の心しか知らない
からです。無知であるが故に他のことを知らない、そして知ろうともしない。彼らが知っているものはいつでも
自分の心のみ
だから常に感情に走り、ダブスタにもなり、尊大にもなり、暴れるのです。
中国武漢肺炎でも、この感情論は大いに幅を利かせています。どんなにきちんとした統計を見せられても、科学的な論を重ねられても、何をどう言おうと、
信じられるのは自分の心のみ
の人には通用しません。彼らはものを知らないのです。知っているのは「怖い」という自分の心のみ。本当にちゃんとした統計なのか?それは科学的なのか?証明されたのか?何を言っても批判ばかりなのは、裏返して言うなら
無知だから知らない
ということ。知らなければ信じようがなく、疑いは無限大となるのです。
知ろうとしなければ、知ることはない。
かくして延々と感情のみが溢れ出すのです。