とんねるずが大嫌いだった理由
小山田圭吾問題と勝手に名付けましたが、僕にしては珍しく複数回記事を書きました。小山田圭吾の音楽を全く知らないのにです。
ふと思うことがあったのです。
で、あれこれ思ったのですが、その過程で「ああー」と再度納得したことがありました。
それはとあるツイートを見た時なのですが、何かこうカチッとハマったという感じで、そのツイート自体はここには貼りませんが、内容としては昭和という時代を言及したものでした。そしてそのツイートを読んだ僕は「エウレカ!」って感じがしたのでした。
何か全部がピタッとハマったのです。
そうかぁ。僕はほんとにそれが大嫌いだったんだな。
バブル期のあの感じが。
僕は本当にバブルの時代のあの空気感が大嫌いでした。どこかで言及してる気がしますが、バブル期以後、つまり90年代以降は本当に映画を観なくなり、本も読まなくなりました。観るのは古い映画。読むのは古本。今でもそんな感じになってしまっています。
バブル期はWikiで調べればわかるのでざっと調べてもらうとして、当事者でもある僕は社会人になってました。田舎だったので、直接は関わってません。恩恵を受けたかというなら、多分間接的には受けたのでしょう。金回りが良くなったわけではありませんでしたが、なんとなくみんなが浮かれている感じが確かにありました。その頃に新車を買ったりしてましたが、それは必要だったからで、分割ローンで買いました。高い買い物でした。
なぜ僕がバブルを毛嫌いしたのか。
その原因はテレビでした。
子供の頃の僕はかなりのテレビっ子で、親からもよく怒られたものです。
テレビばっかり見てるとバカになるよ!
今となっては確かにそうだと思うのですが、それは全く違う意味でそうですね。けれど子供の頃はなんと言われてもテレビでした。そしてバブル期になるまではそうだったのです。
青森県はフジテレビを見ることがいまだにできません。放送局は3局。フジテレビ系はいまだにないのです。けれど、当時の僕は色々と見たいフジテレビの番組がありました。当時特に見たかったのは「オレたちひょうきん族」でした。
青森の放送事情は面白いもので、フジテレビの番組をその時間に見ることはできなかったのですが、例えば一週間遅れでTBSとかで見ることができたのです。僕はそれを楽しみにしていました。
だからひょうきん族も週遅れ、あるいは二週遅れで見ることができるようになったのです。見たい番組だけにワクワクして見たのですが、
面白いが、なんか違う…
ような気がしました。
とんねるずも流行ってましたね。ねるとんなんとかという番組(正確に覚えてません)が大人気でみんなその話題で持ちきりでした。僕も早速見たのですが、正直に書くなら大変不快でした。僕は絶対に女性から選ばれない類の人間だと思ったからです。そして選ばれなかった男性が可哀想だと、まあ勝手な発想や思い込みなのかもしれませんが、そう思ったらもうダメでした(もちろん自分を番組に出演している男性に投影してました)。以後その手の番組を全く見ることができず。
そもそも素人参加番組が僕はダメだったのです。番組はプロが作るもの。僕は今でもそういう発想です。
当時は音楽も嫌いでした。邦楽は特にダメで、アニメのサントラばかり聞いてました。だから歌番組もダメで、家族みんなが楽しく見てるのに、僕だけは見ない。そういう状態でした。
なんか違う。はっきり言うなら面白くない。ずっとそんな感じでした。当時はその気持ちを上手く言語化できずに、ただただモヤモヤしていたのですが、けれど、言語化はできなくても拒否はするわけで、だからテレビを見なくなっていったのです。確かにバブル期を過ぎた頃にはテレビをほぼ見なくなってました。
当時の僕は一人だけ浮いてた状態だったのです。当時の僕自身、逆張り傾向だったこともあって、まあ当然そうなると思ってもいたのですが。
そしてそんな逆張りが極まってしまったのだと当時の僕は思いました。当時流行ってるもの全部がダメで、どれもこれもくだらなくて面白くなくて。ボディコンとかでセンスで踊るとかも冷ややかな目で見てました。ほんとに嫌だったのです。女性が大人数でテレビに出るという形式も確かこの頃に始まっているはずですが、やはりダメでした。ほんとにくだらないと思ってました。いまだに「なんとかクラブ」的な感じでしか覚えてないことからも、いかに僕が毛嫌いしていたかが分かろうというものです(余談ですが、だから今のなんとか48とかなんとかも全くダメです)。
小山田圭吾問題は確かに今の感覚から言えば頭おかしいレベルですが、バブル期というのは確かにそういうレベルでした。当時はそういう空気感だったのです。誰かをいじめる。誰かを貶す。ものを壊す。伝統を壊す。確かにそうでした。ひょうきん族もとんねるずもそう。お笑いウルトラクイズとかもそう。勢いでやれば何をやってもいいとばかりにイジメ倒し壊しまくり、それで身内でゲラゲラ笑ってる。音楽というか、音楽含めたサブカルチャー(サブカル)自体もまんまそれで、武勇伝を語る人だらけ。そもそも暴力を臭わせるからというのでロック自体が嫌いだった僕なので(そうではない、むしろしっかりと創作しているということを後から知ったのですが)それプラス武勇伝には心底うんざりでした。だから僕は音楽も嫌いだったのです。
それら全部を乱暴にひっくるめるなら、バブル期というのはまさに
ヤンキーそのもの
だったと僕は思います。そういえばヤンキーモノもこの頃に流行ったんじゃないかな。ビーバップとかもそうじゃなかったかな。案の定それも僕はダメでしたが。
何かをちゃんと作ってる。そういう感じが皆無で、ヤンキーが終始誰かをイジメ、貶し、何をか壊す。バブル期は確かにそうでした。そしてその勢いは90年代以降も続いていきます。それっぽく言うなら「予定調和の破壊」。
僕はそれが本当に嫌だったんだなと、今になってつくづく思います。その証拠にことごとく避けまくってます。今でもです。僕自身はいじめられたことはありませんが、それでも暴力的なことが苦手だし、いじめも大嫌いでした。苦い思い出もたくさんあります。多勢に無勢。ヤンキーは連むのでね。漫画のように「やいやい!いじめはやめやがれ!」なんて行ければいいのですが、現実は残酷。そんなのは無理なのです。思い出すと歯軋りしたいことばかりです。
余談ですが、ウシジマくんってまさにそういうヤンキー臭が漂ってます。すごく苦手です。全部を読みましたが、一度読んだらもう2度と見ない。作品が悪いのではなく、その根底にあるバブル臭ヤンキー臭がどうしてもダメ、受け入れられないのです。
小山田圭吾問題というのは、詰まるところ、バブル期に対する評価なのだと僕は思います。そして、だからこそ僕は太田光さんの意見はある意味全くその通りだと思ってます。そういう時代背景でした。それは間違いありません。当時もいじめよくない!という意見がありますが、僕はそれはやっぱり違うと思います。確かにバブル期は「いじめを(純粋に)楽しむ」そういう空気でしたよ。よくないと思ってたのはごくごく一部。いじめられる方も悪いんだ!そういう感じでした。だからこそ僕は大いに疎外感を味わいましたし、だからこそこちらからも避けまくってます。
あの頃に武勇伝を語っていた人は多い。出川さんも(キャラ作りとして)やんちゃしたなどとたびたび語ってましたが、そういう時代だったのです。悪いことはいいことだったのです。だから僕はその時代の芸能人も大嫌いな人ばかり。武勇伝を語る、ヤンキー臭を臭わせる、暴力で鳴らしたと思わせる。そういうタイプの芸能人も大嫌いです。本当はいい人だというなら、出川さんのように隠しても滲み出るはず。出川さんの評価とはそういうものだと思います。当時は悪ぶらないと評価してもらえなかったけど、今は
時代が変わったから
素の状態が正当に評価されるようになっただけなのです。