医療関係者という言葉を聞くと、

医療関係者と一括りで言うのは危険ですが、けど、一括りで言わないといけない時もあります。

そういう場合にこそ「忖度」というものが必要。

例えば札幌には、バリバリサヨクの勤○協がありまして、どのくらいサヨクかというと、役職がついたら最後、市民活動と称したサヨク活動に駆り出されるという話を聞きました。

それが嫌で役職がつかないように適当に仕事をしているととか、あるいは辞めたりする人も多いという話も聞いています。

真偽不明、ネタの出どころは秘密ですが、それを聞いた僕は、とりあえずはそこには絶対に何があっても行かないと誓ったものです。僕は聖人君子ではないので、疑わしいサヨクとは接しないのです。

けど、もちろんちゃんとした医者もたくさんいるのでして、時と場合によっては、清濁合わせて表現しなければならない場合もあるのです。いわく「医療関係者」と。

なんとも心苦しいことです。

最高級のラーメンにうんこがちょっと混ざっただけでも、もうそのラーメンは台無しで絶対に食べることができない。そういう気分になります。

 

そうそう。医療といえば介護。

介護関係者の中にも上記のようなところがあるのでして、こちらは伏せ字どころか名前を上げるものやめておくのですが、怪しい団体をいくつか聞いています。かなり大っぴらに政治活動的なことをしているところもあります。

介護の場合は、運営している地域も関係するようで、その地域の人間関係が大きく左右するという話を聞いたことがあるのですが、同時に福祉には共産党が入り込んできているため、どうしてもそっち方面の関係が構築されちゃうという話もあるとか。

施設内に入ると政治家のポスターが貼っているところなんて、もうそれだけで要注意だそうで。

 

今回の文章には推量形が多いのですが、僕はそちら方面には疎いのです。つまりは又聞き。

だから断定できないのです。けど、そういう話の多くは真実だとも思っています。地域の話は「ある意味死活問題」だったりするので、そうそう不確かな情報は流れない。少なくとも「損得関係」「利権」が絡む話は割と確度の高い噂が大半なのは間違いないと僕は思っています。

 

というわけで、僕は医療関係者と聞くと、少し複雑な気持ちになります。

もちろん人を救う仕事に従事している方々なので、尊敬しています。けれど、思想で動いている輩がいるのも事実。

今回の中国武漢肺炎の件でも、なぜか思想を語ってオリンピックやめろ的な発言をする残念な人がいましたね。あの方の出身は札幌?

アドバイスが欲しいだけなのに、そこに思想を交えてああしろこうしろ的な言動には正直、知性のかけらも感じません。そもそも政治を行うのは「国民の選挙を経た政治家」であって、医療関係者ではありません。

医療はできても、国の仕組みがわかってない時点でバカ丸出しとしか言えません。得意な医療だけしていればいいものをと思います。高橋洋一さん風に言うなら

訓垂れる人ばかり多くて

ってやつです。欲しいのは「アドバイス」なのに。仕事ができない人ほど訓垂れるそうですよ。

  

というわけで、そういう残念なこともあったりして、だからなおさら

医療関係者

って言葉を聞くと、とても複雑な気持ちになるのです。