日曜美術館的な記事を書くことにしますモネー

そもそも僕は政治を語りたくてブログ始めたわけじゃないけど、歳をとるとなせか政治に興味が出てくるんですよね。自分自身意外でした。そもそも若い頃は全く興味がなかったのです。それはそれで悔やまれることではありますが。

けど、ずっとそういうのを描いていても仕方がないので、方向を変えるというか、初心に戻ることにします。

日曜日は大好きな美術とか物語作品の記事を書くことに決めました。

 

ところで、山田五郎さんのYouTubeチャンネルがあまりにも素晴らしすぎるので、エンドレスで見ているのですが、その中でも一番心に深く刺さったのがモネの回。

僕の中では完璧でした。

さすが山田五郎さん。全部がピッタリしっくりきました。

けれど、これは僕が歳を重ねたからなのだとも思います。

 

僕は実はデザイナー崩れでして、ひょっとしたらブログにも書いているかもしれませんが、プロとして活動してました。つまりはお金をもらってフライヤーやサイトの制作などしてました。というか、田舎にありがちですが、頼まれたらなんでもやったので、動画制作なんかもしてたんですよ。今は全く違う仕事をしていますが。

なので、ちょっとはわかるのです。表現するということはどういうことかって。

結局、デザインとか作品って、その時の気持ちが出ちゃうんです。いや、ひょっとしたらそれはデザイナーとしてはダメなレベルなのかもしれません。ほんとのプロはそういうものを出さずにしっかりと依頼に応える、それが本物だと言われたら、その通りだとも思います。

けど、過去の自分の作ったものを見ると、例えば、何かのチラシのたかだかちょっとしたレイアウトであっても、「ああ、この時はそういうこと考えてたなぁ」って思っちゃうのです。

ましてや「芸術作品」ともなればなおさら。

 

絵って1日2日では完成しません。同じ作品に相当長い時間向き合うことになります。だからどうしてもそこに想いが投影されちゃうのでしょうね。少なくともモネはそうだったのでしょう。

最初の日傘をさす女のタッチと後年の同題の絵のタッチ、つまり、前期と後期が並んでいる上記の動画リンクを見ているだけでもわかるのですが、実は前期の絵の方が「明るい」ことに気づくと思います。

に対して、後期は明るいはずなのに暗い。

取ってつけたそれらしい文章書いたわけではなくて、実はこれ、僕が最初にこの絵を見た学生時代に思ったことでした。

山田五郎さんの解説を聞いたら納得するのですが、と同時に、歳を重ねたからこそ、そういうことに得心がいくんだなぁとも思います。

僕もそうですが、人間って弱いから間違いだってするんです。たとえ良い人であっても間違うんです。お互いに愛し合っていても浮気もするんです。

僕は間違ってもマニ教徒にはなれません。肉体と精神を分けることは「不可能」だから。マニ教徒というのはまんま厨二病であって、結局は「自分は正しいのだ」という言い訳をごまごまネチネチとしてるだけの子供です。

ちなみに禁欲ということ自体が既に厨二病だと僕は思います。禁欲を説く宗教は、実は今の共産思想やサヨクの思想とほぼ全く同じだというのが僕の考えです。なんとかして自分を正当化したがる。実に醜いものです。

   

大事なのは、間違ったあと。

そのあと、どうするのかどう思うのか。結局はそうだと僕は思います。

五郎さんの解説では「モネの睡蓮は写経」

心に突き刺さりました。もしも天国があるなら、モネは天国に行って妻に会う。シャクンタラーやファウストの世界ですが、そうであって欲しいと思います。