リジー・ボーデン事件
総論としてはこちらと同じ
この事件から
・大金持ち
・継母
・姉妹
といった要素を取り除いたら、別に何がどうということはない、ごくごくありふれた事件でしかありません(注、もちろん殺人事件にありふれたも何もありません。それはわかっています)。
この手の事件はやはりどれも同じ。
世間的に注目される要素があるかないか。
本当にこれだけではないでしょうか。殺害されたアンドリューが大金持ちではなく貧乏人だったら?
誰も見向きもしないでしょう。継母なんていかにもじゃないですか。継母にいいイメージを持っている人が何人いるでしょう?ネガティブになりがちではないですか?姉妹なんてまさに一部の人種の妄想全開!美人姉妹だったら同人誌もわんさか売れたことでしょう。そんな要素がてんこ盛りなら、そりゃあ注目されます。
自分なりにあれこれ読んだりしてきた結果ですが、この種の事件に謎なんてほとんどないというのが僕個人の持論となってしまいました。結局のところ、事件の結論はもう出ているのだとやはり思います。概ね全て判明しているのだと。けどそれを
法的に断定できない
というだけ。たったそれだけの話でしかないと考えています。
結局は法なのです。もっと言うなら、「法的解釈に合致しなければならない」という、ある種の言葉遊びがこの種の事件を生み出しているのだというのが僕の持論です。これでは犯人は永久に出てくるわけがありません。
犯人は犯人ではない、なぜなら法解釈に合致しないから
僕には禅問答にしか思えません。
法治国家である以上、法解釈がどうしてもまかりとおってしまうので、こういった問題はこれからも出てくることでしょう。そして、犯人を犯人ではないと法的に解釈するなら、あとは想像力の問題になってしまいます。リジー・ボーデン事件はおあつらえ向きというか、想像を膨らませる要素がふんだんにありました。
いつも思うのですが、特に今の世の中では、文字通りどんな事件であっても、謎の事件に仕立て上げることができてしまうと僕は思っています。
謎の事件は作れるのです。
リジー・ボーデン事件でもそれは同じ。例えばwikipediaの項目の「推理」の部分を見るだけでいいのですが、もうすでになんでもありになってます。事件現場を見てない野次馬ならなんでも言えるし、それっぽい理屈はいくらでもつけることができます。
大真面目に書くのですが、日本の官僚に「なんでもいいからそれっぽい理屈をつけて容疑者を挙げよ!」と命じたら、リジー・ボーデン事件の容疑者は軽く10人を超えると思いますよ。下手したら50人を超えるかもしれません。
容疑者は作れるのです。いやむしろ「サヨク的」な、いわゆる「僕ちゃんすごい」系の人なら、
僕の考えた犯人
ってやつを作り上げてYouTubeなどに嬉々として動画アップすることなどは実に容易いことです。新証拠発見!とか見出し詐欺なんて気にしないなら、もうなんでもありです。
謎の事件にはその種の話が多すぎる気がします。本物の謎ではなくて、謎を勝手に作り出しては身動き取れなくしているというか。
リジー・ボーデン事件はそんな事件だと思います。