「悪魔の詩」を書いた著者は今どうしているのか?

僕はイスラム教というのは、基本的には危険な宗教だと思っています。こういうこと書くと僕の正体を突き止められて挙句に襲われるのかな?
なぜそう考えるのかというと、事実そうだからです。
イスラム教の思想のもとにどれだけの殺戮行為が行われてきたのか?
そして現在進行形で続くテロの多くはイスラム教徒が起こしています(偽装も含めて)。
それと、やってることがまんまリベラルなのも、嫌悪すべきところです。
そもそも、僕はイスラムの教えからは、常に自分こそが正しいというような押し付けを感じるのです。例えば聖戦。概念そのものがまんま共産思想でリベラルとしか思えません。僕には全く受け入れられない発想ですね。極めて野蛮だからです。キリスト教だと十字軍が近いような気もしますが、十字軍はやることなすこと全てが出鱈目のご都合主義なのにし対して、聖戦は「屁理屈はある」という違い程度の差でしょうか。
いずれにしても神のためになんていうのは全部出鱈目。
ほとんど全ては「自分のため」です。
何が聖戦だよ!
キリスト教だって僕は危険で野蛮な宗教だと思っていますが、イエスの教えに従ってテロを行うなんて話は、寡聞にして聞いたことがありません。イエスは頬を打たれたら反対の頬も差し出せとか、なかなかにぬるいことを言う御仁です。
一方、イスラム教を巡っては、絶えずアッラーのために大勢の人が殺されているような状況であって、それを果たして宗教と呼んでいいのか、そこからして僕には大きな疑問です。成立の過程から現在まで一貫して暴力との親和性が高すぎて、申し訳ないのですが、
イスラム教=暴力
というイメージが、少なくとも僕の中では固定されちゃっています。
もちろんそれだけではなくて、テロ行為によって「利益が出る」からということで、生活のため、あるいは贅沢のためにやってるという側面もあるでしょう。テロリストのバックにはイランや中国がいたりしますから。類は友を呼ぶ。ますます野蛮。
ところで、
イスラム教=暴力
というイメージを決定づけたのは悪魔の詩訳者殺人事件です。
ことの発端はサルマン・ラシュディが書いたの小説『悪魔の詩』が、あまりにもイスラムを冒涜するような内容だったために、時のイランの最高指導者ホメイニ氏が「反イスラム的だから作者や翻訳者・出版関係者は死刑!」などと、今の中国さながらの傲慢さで宣言。それに頭のおかしい連中が触発されて、ついには翻訳で関わった筑波大学助教授の五十嵐助教授が刺殺されたという事件です。未解決。ちなみに著者本人はまだ存命です。これに関しては二転三転あって、流石に今の世の中の思想に押されたのか、今のイランは「宣言は撤回できないけど、宣言にはもう一切関与しないし懸賞金も出さないよ」ということで後は知らんぷり。
こうなると、宣言自体がなんだったのかと。
僕はこの事件でイスラム教のもつ野蛮さを痛感したのでした。
悪魔の詩訳者殺人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/悪魔の詩訳者殺人事件
中にはイスラム教というのはもっと穏やかで云々などとしたり顔でいう人もいることでしょう。
しかし上記で既に書きましたが、テロの多くはイスラム教絡み(偽装も含めて)です。しかも現在進行形。それが答えです。それは過激派だけがやってることで、多くのイスラム教徒は穏健だっていうかもしれませんが、僕にはそうは思えません。
中国共産党と中国の関係と全く同じだと僕は考えています。
土壌があるから育つ
のです。暴力を振るう組織が存在できる土壌がイスラムにはある。聖戦というご都合主義の考え方もある。そしてその養分をたっぷり吸った一部がテロリストになる。
そう考える方が僕にはしっくりとくるのです。
もちろんだからイスラム教は弾圧してこの世から抹殺すべき!などとは思いません。多くの人が信仰しているのは確かなのだから。
けど、信仰しているからいい宗教かといえば、僕にはそうは思えません。警戒すべき危険な宗教だと思います。
どこぞの狂ったバカが「宗教はアヘン」とか言いましたが、僕に言わせてもらえるなら、
暴力こそがアヘン
です。短期的には(場合によっては長期的にも)絶大な効果があり、値段はピンキリですが、手頃に誰でも使用することができて、使うと本当に気持ちいい!万能感全知全能感があって、一度ハマるとやめられない。2度と抜け出せない。
サヨクやリベラル、共産主義、中国朝鮮、そしてイスラム。
なんでこうも暴力的なのかというと、
暴力はアヘン
だから。だからやめられないのです。