大殺戮を肯定できる人々

僕は再三再四、

中国共産党と中国人は同じ

だと言ってます。今回は珍しく、その根拠的なことを書いてみたいと思います(それなりのまとまった時間ができたからというのが最大の理由です)。それがタイトルにもしっかり繋がっているのですが、ちょっとした長文になるので、面倒な方はYouTubeとかでラブライフ(だっけ?思いついたものを書いただけですが)とかでも見て下さい。素人の考えなんて所詮は自己満足的なもの(オナニー)なので、見たくない人にとっては苦痛だけのはずだから。

  

  

さて、中国共産党と中国人は同じという考えに至った根拠というか、なぜそう考えるに至ったのか、その元になったものを示すなら、

エマニュエル・ドットの著作
茂木誠さんの世界史(特にここ

が主だったものになります。

そもそも僕は以前からこう考えていました。

人には生き方の「核」があって、その核には基本的なパターンがあり、そのパターンは「地域」で共有されるのではないか?

と。もちろん「ユング」の受け売りです。ユングの唱えた「集合的無意識」は、人類というものを考える上で最も有効な概念だと僕は思っているのですが(そこから派生した「元型」という概念はまさに白眉)、その概念を使って「民族」を考えたらどうなるのだろうか?と思ったのです。

そしてそれに対する、本当に有効な答えを出したのがドットだと僕は考えています。実際にドットには本当に驚きました。ユング以来、この人は本当にすごい!と思える学者に出会った気分。大いに(僕なりの貧弱な)知的好奇心を刺激されました。

ドットは「家族」を考察することで素晴らしい知識を提供してくれています。それを僕なりの素人解釈として民族に応用するなら、まずその地域に住む家族は、家族単位においては、どの家族もある程度同じパターンの生き方になる”はず”なのであって(地理的条件や社会的な条件などで)

その家族の集まりが民族

と捉えてもさほど乱暴ではないはずです。

「国」という単位は基本的には同じ(ような)民族の集まりで出来ているものです。特に日本ではそれが顕著ですが、上記を応用するなら、

同じような生き方をする家族の集まりが国

だと捉えても、大きな間違いとは言えないのではないでしょうか?

  

さて、まだ上記に違和感があると思う人もいるかもしれません。実際にはアメリカのような多民族国家があるよと。それについてはどう考えるんだと。

もちろん答えは簡単です。

基本的には「考え方」が関係しています。そもそも家族単位というのは最も「考えがまとまりやすい(注、考えが一致するとは言ってません)」単位であって、その考え方は地域によってある程度同じパターンになる”はず”だと考察しましたが、それを応用するなら、仮に色々な民族が同一地域に住む場合、

そこの住んでいる人の考え方がまとまればいい

とも言えるはずで、そして近代国家にはどの国にも考えをまとめるための道具がありますよね。

憲法(法律)

という名の道具が。

憲法にはその国の基本的な考え方が記されているはずです。でなければ、そこに住んでいる人の考えがまとまらないからです(注、だからこそ日本国憲法は中身を変える必要がある)

実際にはアメリカは国ではなく「州」単位なのですが、これなら話はさらに簡単で、州によっての「色」はかなりあるというのはさまざまな書物やニュース、記事などでも明らかです。アメリカは一枚岩なのではなく、州の集まり、つまり国の集まりなのであって、そう考えたら、多民族国家というよりは「国家群」と捉えるべきでしょう。その国家群を統合するために憲法があるのです。

  

まとめに入りますが、上記を踏まえるなら、それは多くのことを示唆しているように僕には思えます。

文化や風習は地域によって違います。けれど、それを乗り越えて同じ国民だと思えるものを人類は作り出しました。それが憲法。しかしながら、その憲法に従えると思えるためには、実は最小単位での同意が必要となります。その最小単位が家族(個人ではないことに注意。なぜなら個人は実は考え方の制約を受けないからです。個人自体は自由です。家族だからこそ制約ができるのです。家族だからこそ「家族間での考え方をなるべく一致させる必要が出てくる」のであって、言い方を変えるなら「社会の最小単位は家族」となります。ちなみに言うなら、個人とは「家族の最小単位」。個人であっても必ず親がいて、親がいる限りは家族を構成する単位になるのです)。

僕個人の意見ですが、結局のところ、

家族と民族と憲法はある程度の一致状態にある

のではないでしょうか。言い方を変えるなら、一致しないと排除される傾向もあるということ。そうでなければ国が成立しない。国が成立しなくても民族は残ると思うのは間違っていると僕は思います。その証拠は「民族独立運動」。まとまりたいから独立したいのであって、民族独立運動の最終目標は「建国」ですよね。

ある程度同じパターンの生き方をする人が集まって民族を作ったら、その民族は国になりたくなるのです。そして国になったら憲法を作って、より一体感を高める。

  

ここまで書いたら、なぜ僕が中国共産党と中国人は同じだと言うのかが理解できると思います。逆に一致しないとおかしいのです。そして一致する、同じである理由ゆえに今の中国で現在進行形で行われているのが

ジェノサイド(民族大虐殺)

なのです。民族が多様でもいいならジェノサイドは絶対に起きません。事実は逆で、同じではないからこそ排除しようという力が働くのです。違うものを受け入れないのです。なぜなら(文化も風習も、民族自体が)違うから。

自分の家に知らない人がいきなり入ってきたらどうします?排除しますよね?違いますか?

ちなみに中国の場合は、頼まれてもいないのに自分の家に他人を無理やり連れてきて、金品などの財産を奪い取った挙句に暴力で排除しようとしているのです。

キチガイとしか言いようがないでしょう?

  

一番上のTwitterですが、それを見て、僕は自分の考えに対しての自信をますます深めました。

僕はそれはまさに「民族性」故なのだと確信しています。

思想を受け入れるのは「家族」です。家族単位で受け入れなければなりません。個人で受け入れても、家族が受け入れないとそれは残りません。家族から個人が排除されて、その個人は違うところに行かなければならないからです。

逆に言うなら、共産主義者は家族単位で共産思想を受け入れているのです。その集合体が民族なのであって、それが国家となる。

国の一体感は国には絶対に必要。

中国やロシアのような国ならなおのことそうなのです。