1080億人

ちょっと前の記事ですが、
人類、累計で1080億人
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO83414110Z10C15A2TJN000/
あくまでも推計なので、数字が正しいと判断するのは難しいと思われる方もいるかとは思いますが、僕は特に疑ってはいません。そうなんだろうなぁと、一つの目安にしたいですね。
上記の記事はログインしないと読めないのですが、短い記事なので、ログインするまでもないという方は、1080億人って数字だけでも頭の片隅に留めておけば、何かのうんちくにはなるでしょう。
さて、僕はこう思います。
今現在の人口が70億だとした場合、1010億人はすでに死んでいるということですよね。
中には悲惨な死に方をした人だって大勢いるでしょう。逆に極めて穏やかに天寿を全うした方もいるでしょう。
死は平等と言いますが、僕は実はそうは思っていません。
確かに死んだら平等ですが、死に方は大変不平等だと思います。苦しむ人もいれば苦しまないでぽっくりという人だっているでしょう。一瞬で死んでしまったので、死んだかどうだかわからないという人もいれば、散々苦痛を味わった上で死ぬまでたっぷり時間がかかった人もいたでしょう。
そんな色々な死に方がありますが、これまで死んでいった1010億人の中で
楽に死んだ人
ってどのくらいいるんでしょうね?
多くの人は、というか大半の方は
ピンピンコロリで楽に死にたい
と願っているのではないかと思うし、僕だってそうです。普通に大変な人生なのに、死ぬ時まで大変ってどういうことよ?って思います。
けど、多くの方はやっぱり苦しんで死んでいくのです。病気、けが、戦争などの殺し合い
………
少しでも楽に死にたいモノですよね。
こんなことを書いたからといって、別に死のサインを見たとか、生きているのが嫌になったとか、そういう感情は一切ないので、ひょっとしてこれは遺書かと思われた人がいるなら、それは誤解だと書いておきます。
ふと思ったので書いたまでのこと。
ところで、僕は実は安楽死はとてもいいことではないかと思っています。安楽死を否定する風潮が強いのは、おそらくは
楽に死ねるなら、すぐに死にたがる人が続出する
からではないかと思っているのですが、少なくとも延命治療を施さなければならないような状況の場合は安楽死を認める”べき”ではないかというのが僕の意見。
楽して死ぬことまで含めていい人生だった
と思えたらいいんじゃないかな。
人生は苦労の連続で、それが当然
というのは、実は勝手な思い込みでは?と僕は思っているのです。苦しんで死ぬより、最後は「これで人生終わり」と穏やかに死ぬことの、なにが悪いのか。
僕が仏教にも馴染めないのは、こういう考え方をするからかもしれません。
そもそも修行というのはおかしいと僕は思っているのです。
僕にはそういうマゾ的な気質はないので。
というか、死の苦痛をできるだけ取り除こうとする方向に行かないのが、いつもいつも不思議でなりません。よっぽど皆さんマゾなんだなぁって、いつも思います。