口裂け女を排除する全体主義

口裂け女は僕が小学生の頃に大流行しました。
すごく印象に残っているのが、僕の学校で運動会が行われた時に「グランドの隅で口裂け女を見た!」という噂がたちまち学校全体に流れて、小学生たちが運動会そっちのけで口裂け女探しをしだし先生や家族の方が困惑、という風景。当時の僕は僕で
「どこどこ?」
と、やっぱりうわついてしまってその後の運動会の記憶が曖昧に(笑)。その話は運動会が終わってからもしばらく続いてました。
そんな感じで僕の住んでいた「ど」のつくレベルの田舎ですら流行ったのだから、あとは推して知るべしというやつで、日本中で大流行。その時の僕の素直な感想はといえば
本当にいるのかな?
いるならやっぱり怖い
という至ってシンプルなもので、特にひねくれた感想などありませんでした。
ただ、
本当にいるなら見てみたい
という気持ちがあったのも事実で、それはまさに「宇宙人が本当にいるなら見てみたい」というのと同じでした。つまりどっちも未知のもので、大いに好奇心を刺激するものだったのです。
口裂け女の話自体はwikipediaを読めばそのままだと思うので、詳しく紹介しません。ちゃんとまとまっていると思います。この手の話は「そもそも噂ばなしレベル」なので、解釈は人の数だけ出てくるのが常だし、それっぽい話を掛け合わせたら、それこそ星の数だけそれっぽい話ができてしまう。そういう類のものです。
言い方を変えるなら、歴史や文化の古く豊かな日本には、口裂け女の題材にアレンジできる話がたくさんあるであって、この手の話題で一番面白いのはまさにそういう部分ではないでしょうか。
さらにさらに言い換えるなら、ちょっとしたアレンジで豊かな世界が広がってしまう日本の歴史や文化の凄さとも言えるでしょう。
去年からの武漢肺炎のせいでマスクマン(注)大発生となった世界ですが、それ以前から日本ではマスクマン(注)が大発生してました。僕の記憶が確かなら、花粉症対策でマスクマン(注)だらけだったのでして、なんで日本人はそんなにマスクしたがるの?というような話題がされていたと記憶しています。
僕はといえば、その時に真っ先に思ったのが「口裂け女」の話で、また流行ったら面白いななんて完全に他人事。
今はマスクをしてないとどこにも入れない状態なので、全くもって他人事ではありませんが、こういう時にこそ口裂け女的な話題があってもいいのではないかと、これまた無責任にも思ってたりします。
けど、サヨク系の思想が流行ると、そういう文化そのものが否定され、あれだけこれだめの禁止の連発で、口裂け女に関しても、差別だのなんだのといって禁止したりするのが目に見えています。
どこの野蛮人体制だよ!って思いますが、サヨク思想は例外なくそうなる。
多様性といいつつ何でもかんでも排除するのです。
そりゃあつまらない世の中になるというものです。
注)いちいちマンじゃなくてパーソンじゃないか?とか言い出す輩はこんなブログには来ない方がいいですよ。僕はサヨク的思想がとにかく大嫌いなので、中国、韓国、北朝鮮、日本の野党、マスゴミ、いわゆる知識人文化人、フェミ、及びそれに類する輩が全部死ぬほど大嫌い。なので、そういう発想自体を心底から嫌悪し全否定するからです。前述の輩の綺麗事が死ぬほど大嫌いです。