米史上最悪の殺人犯「サミュエル・リトル」

米史上最悪の殺人犯が語る「私は世界で一人だけの存在、それは名誉ではなく呪いだ」
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/35147

サミュエル・リトルの名で検索すれば色々出てくるので、興味のある方はご自身であれこれ読んでみるのがいいと思います。

被害者の数の多さには唖然とするし、弱い者が犠牲者となるというなんともやるせない事件ではあるのですが、一方で、僕は、長年感じている思いをさらに強くもしました。

それは

この種の事件は分かってしまえば、本当に単純

だということ。映画のように複雑怪奇なものではなく、推理小説のように頭脳を極限まで使うのでもなく、では宗教的・思想的なものかというともちろんそうでもなく、ましてやミステリーでもない。

それらは全部、事件とは無関係な周りの人たちが勝手に妄想するだけのことで、本当はもっともっと単純極まりない、身も蓋もない言い方をするなら

「殺したいから殺した」

ってだけのことじゃないかと思えるのです。

逆に言うなら、ドラマや漫画や小説や映画を見すぎると、この手の事件に対して余計な解釈をしがちになるのではないかと。

  

ところで、僕はもう一つ思うことがあります。

それは、加害者が捕まって自分語りをしだすと、途端にその人生は脚色されて大袈裟に色が塗られて、どんどんドラマチックになってしまうのではないかということ。

上記記事で犯人が語る大仰なセリフ「私は世界で一人だけの存在、それは名誉ではなく呪いだ」。

おそらくは捕まるまではそんなことは微塵も考えてはいなかったのではないかと思えます。そこまで考えられるなら、まず殺人などしないからです。殺人を犯し、それが前人未到というかありえない被害者の数に多くの人が驚いた結果、

何か自分は特別

だと思ったのは間違いないし、そんな自分にちょっとした高揚感を感じたことも間違い無いのではないかと僕には思えます。一人二人ではなくとんでもない数を殺すと、周りの自分に対する扱いが違うし、だから(こういう書き方はあれですが)ある種のVIP扱いを受けるし、そうなると「(こういう状況も)悪くないな」と思っても不思議ではありません。

知的な捜査官との会話にだって「自分は特別感」を味わったことだろうし。

そしたら「相手に合わせて」それっぽいリップサービスだってしたくもなるでしょう。

つまらない人生がパッと花開く!

そう感じても不思議ではありません。

もちろん捜査官はそういうことは百も承知だろうし、そういう心理的な罠に引っかからないように訓練だって受けているでしょう。けれど、そういう訓練を受けてないマスコミがインタビューをしたらどうなるのか?

だから僕は、あまりこの種のインタビュー記事は信用していません。

殺人事件の大半は極めて単純で、「面倒だから」とか「あいつがうるさいから」とか「殺したいから」とかいったようなことで起こる。いや逆に単純だからこそ起きるのだと僕は思います。

あれこれ考えたら、殺人なんてそれこそ面倒になってしまうから。