「中国共産党」と「中国(人)」は別という論法

言いたいことはわかります。

つまりは「論法」なんです。

中国共産党と中国(人)は別ということで、政治的なスタンスが取りやすくなるのです。言い方を変えるなら

オプションが手に入る

ってやつ。

例えば。

中共打倒のために心ある中国人に「武器援助できる」

とかね。

それに、正面切って戦うよりも「内部崩壊」してくれた方が色々と都合がいいし。

そんなことは言われんでもちょっと想像したら誰にだってわかります。

はいはい。わかりますよ。人権にも配慮しているんですよね。

   

しかし僕はそれも踏まえた上で、というか、ある種無責任(ここでいう責任とは主に政治的な責任のこと)だからこそずっと

中国共産党と中国人は同じ

だと言い続けています。なぜかといえば、僕の知ってる範囲では、中国(と呼ばれている土地)では絶えず同じことが繰り返されてきたからです。

全く同じことが延々と繰り返されてきたからです。

殺戮と権力闘争。徳だの仁だのなんだのそれっぽいことをいくら声高に言っても、やってることは延々殺戮と権力闘争。

他の地域にもそりゃあ権力闘争と殺戮はありましたが、他の地域ではそれらを繰り返した結果、

ちゃんと反省(例えばウエストファリア条約)

しました。もちろん間違いはいまだにあるでしょうけど、それでも都度都度振り返っては反省しています。

では、中国(と呼ばれている土地)ではどうでしょう?

反省しましたか?

もちろんそんなものは1mmもしていません。絶えず誰かを攻撃し、そして破壊しています。過去の歴史を今もやる気満々で繰り返しています。弱いものには高圧的に、強いものには超限戦を。

逆に言うなら、だからこそ容易に想像できます。

中国と呼ばれている、あの汚れた土地では、古代からずーーーっと同じことが延々と繰り返されてきたんだなぁって。今のこんな感じを昔もまんまやってたんだろうなぁって。

   

結局あの呪われた土地では、中国共産党がなくなっても、新たな中国共産党が出てくるのです。歴史がそれを証明しています。名前は中国共産党ではなくなるかもしれませんが、やることは中国共産党と瓜二つ。

家族以外を信用せず、嘘は当たり前で、金に絶対の価値をおき、無駄に選民思想がある。

国は絶えずコロコロ変わるくせに、その地に住んでいる人たちは驚くほど変わらない。

それが中国。

そんな中国の土壌から養分を思う存分吸い込んでとことん濃縮したのが中国共産党なのです。

  

政治家は政治的なスタンスを取るのが当然だし、そうすべきです。

けど、僕は政治家ではないので、別に政治的なスタンスを取らなくてもいいし、取る必要もありません。

というか、僕らが政治を慮るのは、それは筋違いではないかと思います。そもそも国民の思いを代弁するのが政治なはず。国民が政治家を慮るのは根本的におかしいのです。

例えば、僕が思う「中国共産党と中国は同じで絶対に許すことができない」という気持ちを慮るのが政治家の仕事。

一般人はそうは言うけど、色々と国際的な仕組みとか権謀術数とか、入り組んだ世界ではそう簡単にはいかんのよ…

ってのはただの言い訳です。ならば「どうすべきかの見通し」を立てるのも政治家の仕事です。

政治家が「中国共産党と中国は別」というのは、深い意味があるんだから、国民はそれを察しろ!ではおかしいのです。

国民が「中国共産党と中国は別」ということに対して、答えを出すのが政治です。そのための権力。

  

もちろん政治家は国民の声を聞いてはいます。

中国で稼がせろ!

という企業の声を確かに聞いてますよね。ジェノサイドを現在進行形で行う鬼畜で野蛮な国家と、よりにもよって

もみ手で商売したがる頭のおかしい連中

の声をしっかりと聞いています。確かにそれは政治家としては正しいですね。

しかし、それとは逆に

絶対にあの国を認めることなどできない

と言う声もあるのです。その声を無視してほしくはないですね。

そもそも金の力で政治が決まるわけじゃないですよね。建前では国民の声を代弁するとか言っておいて、実際には万事が金の力で政治が決まるなら、それこそそんな不平等はないのであって、であるなら「それは中国そのまんま」。

経団連の方を見て政治を行うのか、それとも国民の方を見て政治を行うのか。

簡単な話なのです。