「自然を守れ」という詭弁

自然という言葉はありふれていて、何か無条件で素晴らしいという意味で使われているわけですが、当然のことながら、
本当に素晴らしいならそもそもこの世はずっと自然なままだったはず
なのです。そしてこれまた当然のことながら、実態はそんなに、というか、全くこれっぽっちも素晴らしくないからこそ自然はなくなっていったのです。というか、何にもしないのがそもそもの自然なのであって、そんなところに人は住めません。
人が住みやすいように改造するから人が住めるのであって、エベレストの頂上はある種の究極の自然ですが、当然のことながら人は住めません。
言い換えるなら、人が住んでいるところはすでに自然ではないのです。
田舎は自然か?というとそんなことはありません。人工建造物が少ないというだけのこと。田舎暮らしに憧れるというのは、結局のところ、
・都会は人が多すぎて嫌
・人工建造物が嫌
・自然という言葉に勝手にプラスイメージを持っている(持ちすぎている)
というところに帰結するのではないでしょうか?田舎者の僕から言わせてもらうなら、田舎は何でもかんでも手間暇かけてやらなければならない分だけ、はるかに都会よりも面倒です。もっと言うなら、物にも人にも絶えず手間暇かけなければならないのは面倒極まることです。手間暇かけるのだから、当然のことながら、田舎は自然ではありません。人工建造物が少ないというだけのことです。いやいや、畑や田んぼは立派な作り物ですよ。そもそも植えて刈り取る作業は全くもって人間の知識と知恵の産物です。
たくさんの木々、流れる川、雄大な山山や湖、遥かに広がる海、人のいない場所。
いい感じです。好きか嫌いかと問われたら好きだと答えます。けど、住めと言われたらお断りします。住むなら都会がいいですよ。金があればそれなり水準以上の生活ができるからです。
よく、金がなくても生活できるなんてミニマリストを気取る方がいますが、まあ不可能ですね。ものを最小限に抑えたら心が豊かになるなんてのも全くの与太話です。
実際、そういうミニマムな思想や宗教はいつの時代でも狂信的な少数派にしかなり得ません。頭の悪い人間が感化されて狂信し、そして過激思想に走る。例外はありません。心だって全然豊かにはなりません。自分の理想を他人に押し付け、挙句に暴力に走るキチガイにしかならない。
今のこの時代にも当然当てはまる話ですよね。環境に蘊蓄を傾ける輩の異常ぶりなんて、まさに狂信としか言いようがありません。炭素うんぬんの話からは歪んだ情熱しか感じません。
人がこの地球上で生きていく上では、必ず人が住めるように改造・改良を加えなければならないのです。よく言われるように、自然をそんなに守りたいなら、まずはそう考える人自身が死ぬしかありません。人が一番の害なのだから。
有害な物質が出ることは「地球にとってはどうでもいい話」でも、人間にとっては困る話です。ここをすり替えて
地球に良くない
なんて言う人がいてますが、実に馬鹿げています。繰り返しますが、地球にとってはどうでもいいことなのです。人間が住めるかどうか?そこが問題なのであって、住めないなら住めるように改造、改良しなければなりません。
結局のところ、人は必ず自然を、環境をいじるのです。
だったら、そこにあれこれ思想を交えないで「どうしたら気持ちよく過ごせるか」のみを考えたいものです。
と、ここまで書いておいて、ここからが僕の言いたいことなのですが、
仮に地球が温暖化しているとして、それの何が悪いの?
と思います。仮に北極の氷が溶けて海水面が上がるというなら、それに対する対策をとる方がいいのではないの?と思うのです。溶けないようにすることなんて、はっきり言ってできないでしょ?
日本だけが対策したら北極の氷が溶けなくなるの?実際には世界中どこでもみんな金儲け優先だし、心地よい生活のために地球を改造し続けています。日本だけが対策したって溶けるものは溶けますよね。なんか本当にこの種の偽善にはうんざりしますが、世界全体が一致して何かをするなんてことはないし、本当に温暖化しているなら、この流れは止められません。なるようになるのです。
なら逆に海水面が上がった時のための対策を「今から考えた方がよっぽど健全」ではないですか?
ヒーローヒロイン気取りで地球温暖化を訴えたら氷は溶けないなんてことは、悪いけど100%ありません。
海水面が上がるというなら上がるのです。単純なことでしょ?綺麗事を言わず、それが本当にそうなら、対策すればいいだけのことなのです。人は生きていくために絶えず環境を改造、改良しているのだから。
金がかかる?
いいことじゃないですか?労働問題クリアですよ。失業対策にもなりますよ。新たなイノベーションも起きることでしょう。技術革新も進みます。津波対策に防潮堤、防波堤を作るのと全く同じことです。オランダの素晴らしい努力を見習いたいものです。
人間が自然を壊す
なんていうのは狂っている思想、狂信でしかありません。何度も言いますが、人は人が住みやすいように自然を改造、改良していくし、そうし続けていくのです。じゃないと住めないから。生きていけないから。
最後に、自然と共存共栄なんていうのも与太話です。結局は改造・改良しているのだから。そうではなくて、改造改良に
感謝する
というのが、本来の意味での共存共栄ではないでしょうか?感謝の気持ちがあるなら、改造改良した環境を大切に使うでしょうし。
実際には自然とは共存共栄できません。できないからこそ改造・改良をし続けているのです。
自然を克服するとか、自然を征服するなんていうような歪んだ発想もやめたいものです。あくまでも人が住むために行うことなのだから。住むにはそうするしかないのです。克服だの征服だのといったような大袈裟なことではないのです。
しつこく繰り返しますが、人が生きていくためには自然を改造、改良しなければなりません。
ならば、よりよい改造、改良を行う。
そういう発想こそが大事だと僕は思います。自然環境を守れなんて詭弁には虫唾が走るのです。