町を守る風水

元々人が住んでいて、そこが大きくなって、自然に町になって行った場合と、何もないところにいきなり町をつくろうとした場合では、全く違うのは当然のこと。

札幌は碁盤の目のような街並みが色濃い町ですが、開拓して整備されていったので、ある意味当然のことです。以前このブログでも書いたのですが、中央区の一部分は「何条何丁目」という表示だけで、そこがどこにあるのかが正確にわかるような仕組みになっていたりします。

言い換えるなら札幌市は人工的な都市ということなのですが、個人的に思うのは、そのような人口の都市に見え隠れする風水の存在の強烈さです。

例えば平安京。平城京でもいいのですが、まさに計画都市で、その設計には風水が深く関わっているのは周知の事実だし、皇居だってそうですよね。帝都物語で一躍その存在に脚光を浴びた関東平野に広がる風水的な結界なんて、まさにロマンそのものです。

物語のように見えない光線が張り巡らされているなんてことはありませんが、そこには当然「なんらかの意思」があるのでして、僕はそれこそがパワースポットの正体だと思うのです。

 

僕は割とパワースポットに対するこだわりがあって、実際にもあちらこちらにそれなりに行ってるのですが、基本的には、その辺りの場所で最もいいところにあるのがパワースポット。

漠然とした言い方なので、もう少し踏み込むと、何がいいって「気分がいい」場所。それがパワースポットだと僕は考えています。実際、本当に気分が良くなりますし、僕の場合だけかもしれませんが、行くと天気がいい時が多い。というか、圧倒的に天気がいい。それだけで気分も良くなるし、なんか勝手にありがたいと思ってしまう。パワースポットに出かけて、帰りは気分が悪くなるなんて経験はまだ一度もありません。それともそれは「単なる思い込み」なのか?

さて、気分がいい場所があるなら、気分が悪い場所というものもあるはずで、以前ここに書いてますが、そういうところにはやっぱり神社などは建てられないですよね。

来る人の気分を悪くさせるなんて、愚の骨頂。まともな人なら当然敬遠するし、僕も自らわざわざ気分が悪くなるようなところには行こうとは思いません。多くの人が集まる場所や、それなりに神聖な場所は、やはり「いい場所」であるべきだし、多くの人もそう思うことでしょう。であるなら当然のこととして「いい場所」というものを考えなければならず、そのための道具が必要で、だから風水なんだと思います。

ところで、誰だって「いい場所に住みたい」わけで、その逆は物好き以外の人は住みたくはないでしょう。事故物件に住んでいた僕ですが、やむにやまれぬ事情があったからで、自ら進んでそういうところに住みたいとは思いません。

実はちょっと漠然と思っていることがあるのですが、それは

風水的に作られた札幌市のどの範囲までが、風水的には有効なんだろうか?

ということ。それと

風水と事件の関連性。

です。誰か大真面目に調べて欲しいと思っているのです。実は色々な仮説が思い浮かんでいるのですが、そういうことを考えてると、本当に楽しい。そういうことを調べながらあちこち歩きたいなと思っているのです。というか、YouTubeで古本屋巡りをした後で、実はその風水的な札幌歩きをしたいと思ってたのを昨日思い出しまして。笑

思い出したので、書いてみた次第。

人も来ないし、武漢肺炎で自粛だし、自分で見ても「全然動画としてダメだな」と思ったしで、無期限休止状態にしているYouTubeですが、ちょっとやる気が出てきまして(笑)、雪が溶けたら再開しようかなと思ったり思わなかったり。

けど、再開するなら、見てもらえるようにちゃんと編集なり喋りなりを勉強しないとね。