あけましてもちっともおめでたくない日常の積み重ねの結果
年が明けましたが、それで世の中が少し変わったのかというと、結局は毎度お馴染みの異常な国が大暴れし、異常なウイルスも大暴れし、異常な野党も大暴れし、異常な経団連も大暴れし、マスゴミもやっぱり大暴れしています。
ちっとも何にも変わらないじゃん!
けど、それはそうなのです。劇的に何かが変わるなんていうことはそうそうないのです。というか、ほとんどないのです。けど、けどそれでもそれをどこかで期待する気持ちがあったりしますよね。
その気持ちの表れのもっともわかりやすい例が黙示録。
ド派手な内容が主に若者を惹きつけ、これまたド派手な戦いの描写などとともに、取っ替え引っ替えモチーフ作品が出てくるあの黙示録も、結局は今の世の中のような「異常な輩が跋扈するこの世の中が変わってくれないか」「誰かが変えてくれないか」という気持ちの表れだと思うのです。
もちろん黙示録を書いたら実際に黙示録のようなことが起きたかというと、当然のことながら、黙示録級の出来事は何も、本当に全く何にも起きず、逆にそれを願った方が大量殺戮を行なってしまっています。悪の大群が悪さをして神の前に敗北するのではなく、自分たちが悪のような振る舞いを行ったのです(十字軍とか)。
なんだかね。
僕は、実はこう思っています。
神が確かに存在するなら、是非とも黙示録を引き起こして欲しいと。
何を言ってるのかと思われるのかもしれませんが、黙示録が引き起こされると、少なくとも、悪のような振る舞いをする輩が滅ぼされるのですよ。
だから、神が「何もしない」のは、僕は罪だと思っていたりするのです。
いやわかっています。本当に神がいたとして、「人の言うことを聞く」なんてことはあり得ないのです。なぜなら人の話を聞くなんて「万能の神が行うわけがない」から。いうことを聞くということは「ある意味奴隷になること」と同じ。神が万能なら、人間の知恵をはるかに凌駕しているはずで、そんな存在が人間のいうことを聞くなどあり得ないこと。
神の行いは神が決めることで、僕らがいくら祈ろうとも、神は「神の意思」で動く。これが本当の神なのです。
僕が言いたいのは「人間が想定する神(のようなもの)」が本当に存在するなら、それならその存在は人間のいうことを聞くべきだろうということ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神はまさにその「人間が想定する神(のようなもの)」だと僕は思っているのですが、そういう存在が本当にいるのならば、ならば人間のいうことを聞くべきだと思うのです。
なぜならその存在は「人間が規定している」から。
簡単に言うなら、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は人間が作り上げた存在なのです。そしてそれが本当に存在するなら、規定通りに動くべき。
逆に言うなら、規定通りに動かないのは、存在しないのと同じことだと言えます。
今のこの異常な国の大暴れや、異常なウイルスの大暴れや、異常な野党の大暴れや、異常な経団連の大暴れや、異常なマスゴミの大暴れに対して、人間が想定した神がいるのなら、彼らを排除するように動くべきなのです。
ちょっと屁理屈気味に書きましたが、でも多くの人は知っているのですよね。
神なんていないって。
だから「人間には人間が対抗するしかないんだって」
つまりは
戦うしかないんだって。