お利口ちゃん病

「悪いのは中国共産党であって、中国ではない」

これほどの詭弁があるでしょうか?お利口ちゃんほどよく口にするこの言葉。こう言わないと「それにつけ込まれる!」などともっともらしいことを言ってさも自分はお利口ちゃんだとマウントするのは異常だとしか思えません。

そもそもこういうロジックには大きな穴があるのです。

それは「相手が考えるのではなく、こちらが絶えず考えなければならない」ということ。相手が中国人なのか、それとも中国共産党員なのかなんて、ぱっと見でわかるわけがない。いちいち聞くの?聞いたとして正確に答えてくれるの?

馬鹿は休み休み言って欲しいものです。

中国人はとにかく一律全部ダメ!

こうすることで「相手に考えさせる」。これが正しいやり方だと僕は確信しています。いいヤクザだろうと悪いヤクザだろうとヤクザはヤクザ。ヤクザは一律お断り。こうすることで「仮にいいヤクザがいるなら」お断りされないようにするか、あるいはヤクザを辞めるか、ヤクザ自身に考えさせることができます。つまりはこちら側が主導権を握るのです。主導権をこちら側が絶えず握るのが正しいのではないでしょうか?

悪いのは中国共産党なんていうのは、一見賢そうで、最も馬鹿な発想でしかありません。主導権を相手に握られて、それでなぜかこちら側が必死に利口ぶって考えて、結局墓穴を掘る。お利口ちゃんぶってるバカがとにかく罹ってしまう病気とも言えます。

なお、同じようなパターンに「朝日もいい記事を書く」というのがあります。

 

「野党にはしっかりしてもらいたい」

しっかりなんてするわけないし、今までもしたことがないのに、いつもこういうようなことを言う人がいます。これまたお利口ちゃん病ですね。このように言うことで、自分は理性的だとアピールしたいのです。こういう馬鹿げたことを真に受けるような人がだいぶ減ったのは幸いですが、つまりは

ダメなものはダメ

と言えない時点で、もはや頭の病気でしかありません。本当に野党のことを思うのなら、はっきりと

お前ら全員消えろ!

ぐらいでちょうどいいのです。相手を認めるような、あるいは逃げ道を作るような発言をする限り、絶対に野党はまともになんて絶対になりません。甘やかされて小遣いもらって、親を舐めてる子供と同じなのです。何を言っても、何をやっても

しっかりしてもらいたい

しか言わないんだから、これからも野党はやりたい放題です。

 

「是々非々」

今回のアメリカ大統領選では、どういうわけか「不正はあるかもしれないが証拠が云々…」などと言う人たちがいて、なぜか上から目線で周りを説教したりしてますが、いやいや、それって全然公平でも公正でも是々非々でもないですよ。

しかも「日本人なんだからアメリカの選挙は見守るしかない」とか言っちゃって。

これまた全然公平でも公正でも是々非々でもないですよ。

どの国の選挙だろうが、どの国の法律だろうが、どの国の取り決めだろうが

「おかしいと思ったらおかしいと言う」

これが本当の意味での公平で公正で是々非々ではないですか?結果に影響がないなら言ったらダメなんですか?以前書きましたが、二人殺さないと死刑にはできないという「異常な判例」を異常と言ったらおかしいですか?

僕はちっともおかしいとは思いません。人を殺して死刑にならない方がよっぽどおかしいと僕は思います。

そもそも上記の人たちは、そういうロジックで言うなら、中国にも韓国にも何も言えないと気づけないんでしょうね。その国の仕組みや制度があって、その仕組みや制度をそこまで尊重するなら、ウイグル人は中国の国内問題で、ジェノサイドであっても口を出せないし、韓国の慰安婦だの応募工問題にも何も言えません。けど、上記の人たちは何やら他国の問題には必死にあれこれ言ってるようで、おかしいですね。

自分は公正公平で物事に対しては是々非々だとアピールしたい気持ちはわかります。お利口ちゃんだと思われたいですもんね。

けど、人っていうのは、僕も含めて、自分の立場でものを考えて行動します。つまりいくばくかの忖度が絶対に働きます。僕は国のために忖度したいですよ。日本のために忖度したいです。何か問題でも?

日本に忖度して、日本のために「事実を追求する」なら、なんの問題もないはず。おかしいものは、他国であろうと同盟国であろうとおかしいと言いますよ。不正は不正。何か文句でも?

 

「エビデンス」

これを言いたがる人も要注意。例えば何らかのグラフや数字が出てきたとしましょう。

数字に弱い人がそれを見て

「しっかり理解できると思いますか?」

答えはNOです。何もバカにしているのではありません。僕自身、天才でもなんでもないので、数字を見せられて物事を理解しているかどうかなんて大いに怪しいです。仮にその数字が正しいとしても、それを知る術は実はないに等しいのです。はっきり言うなら、その手のプロ以外はわからないと言っていい。

ならどうするのか?

エビデンスなんて、結局は

それを言ってる人が信頼できるかどうか

に全てかかっているのです。そしてこれをわかってないお利口ちゃんが多すぎます。フォロワー0の人がものすごく貴重で正しいツイートをしていても、大抵の人はスルーします。フォロワーが多い人が「今日は眠い」などと書いただけでリツイートの嵐です。

僕は高橋洋一さんの発言を信用しています。信用できると思っています。思っているからこそ、彼の出してくるエビデンスも信用します。プロから見たらそうなんだと。そして流れを追っていくと確かにそうだと。

社会は人と人の繋がりでできているんだもの。結局は信頼できる人かどうかで決まります。エビデンスはそこにくっついてくるものなのです。ちなみにファクトチェックもそうです。

 

偉そうに書いてみました。この記事だって、僕という人間を信頼したり信用していたりすれば「そうかも」と思うでしょうし、長くて読む気にもなれない、いまいち信じれないなんてことになれば、「何バカなこと書いてんだ」「お前の記事なんて誰も読みもしない」などとなることでしょう。

お利口ちゃん病は「自分は正しい」つまり自分は信じるに値する人間なんだとアピールしたいが故に、間違ったことをしてしまう病。

僕はお利口ちゃん病にはなりたくないです。だって綺麗事は大嫌いだから。

嫌いだからなりたくないのです。