吸血鬼に思いを馳せる

吸血鬼といえば僕は主にこちらの本から知識を得ました。

種村季弘さんは僕の中では澁澤龍彦さんと並ぶ、まさにこれぞ知識人という意味での知識人なのでして、両巨頭の本は手に入る限りの本は読んだつもりです。

なんでこんなにいろいろなことを知ってるんだ?と当時は本当にうっとりしたものです。そして今読んでも本当に面白いです。まさに僕の知りたい事柄や興味のある事柄に、いちいちピンポイントでグイグイくる感じがたまらないのです。

そんな巨頭は吸血鬼についてもさすがに博学。この本で僕は吸血鬼に関する考えがかなり変わりました。よければ中古本が売ってるので、皆さんも一読を。古い本ですが、知識はブレンドして更新して絶えず積み重ねることができるのです。古い新しいは関係ありません。

 

吸血鬼に関しては、上記とならでんでやっぱりブラムストーカーのドラキュラは絶対に読んでおくべきでしょう。「べき」と書いたのは、本当に「べき」だからで、今日の吸血鬼はもうぜーーーんぶ、この本が土台になってるからです。漏れなく全部と言ってもいいのではないかと思います。この本自体がドラマチックで傑作だからでもあるのですが、今日のドラキュラのエッセンスはもうぜーーーんぶこの本に詰まっています。このエッセンスが加わってないドラキュラ物は全くないと個人的には思っています。

ただし、アメリカで制作されたドラキュラだけはこのエッセンスにただ一つだけ違う物を付け加えたのであって、それは

筋肉

とにかくマッチョですよね。というか、アメリカナイズされると、全てがマッチョになってしまうのです。ムキッ!

  

別に通ぶってるわけではないのですが、吸血鬼ジャンルの映画なら、絶対に「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)は観てほしいです。サイレント映画だから慣れないと退屈。けど、吸血鬼の造形としては、これに勝る物はないと思っています。マッチョではありませんが、いかにも不気味そのものですよね。

wikipediaより

力でゴリ押ししてくるのではなく、不気味に忍び寄るこの感じ。そもそも吸血鬼は腕力にものを言わせてグイグイ迫ってくるオラオラ系反社系、あるいはヤクザや暴力団の類なのではなく、ジトーっと迫りくるリビングデッドなのです。圧倒的に死の領域に存在するものなので、生がほとばしるダイナミズムさとは無縁。だからこそ怖いのです。

もう一つお勧めする吸血鬼映画は「ロマン・ポランスキーの吸血鬼」(1967)。

僕はビデオレンタルで観たのですが、いわゆる大作ではないし、あれこれひねりがあるわけでもないし、世間的にはオープニングシーンが話題になったくらいじゃないかと思うのですが、ではなぜこの作品がおすすめかというと、こちらはその後のお笑い系吸血鬼の基礎となった作品だと思うから。

吸血鬼は怖いかお笑いかの2パターンがあると思うのですが、お笑いパターンのエッセンスがこの映画には詰まっているのです。

 

吸血鬼といえば以前こんな記事も書きましたが、元々は民間信仰が土台であり、様々なバリエーションがあったようで、しかも世界的に似たような話があります。

そういう世界にどんどん足を踏み込んでいくのもいいですよね。というか、隠居生活したいです。読書に映画三昧。浮世離れした話が僕は大好きです。なんなら本当に存在していて、そして俺の首を噛んで俺を吸血鬼にしてくれ!なんて思った人もいるかもしれませんね。

僕はお断りしますけどね。

僕は夜も好きだけど、太陽が燦々と輝く日中の世界も大好きなので。

それに最近は毎日のようにニンニク食べてるし。

明るい日差しの中で暗い夜の物語を楽しむ。

これぞ、ザ・贅沢ってものです。