多様性などという言葉遊びを自慢げにするのはどんな人たちなのか

なぜ心霊写真がなくなったのかというと、それはカメラがデジタルになったからだと僕は思っています。
「現像」という手間がなくなったこと、言い換えるなら、写真ができるまでの工程に人が介入する余地がなくなったことが、心霊写真がなくなった大きな原因ではないかと思うのです。
そもそも現像がオートマチックにできたなら、おそらくはアナログ写真においても心霊写真はほぼなかったのではないでしょうか。
現像液につけて定着させてとか、なんかよくわからない工程がたくさんあって、そもそも暗室内だから手元は暗いわけで、そんな暗い中でその工程をちゃんとこなせる人もいれば、「よくわからんけどこんなものか?」的な人もいたはずで、つまりはピンキリで、であれば、現像ミスった!ということもたくさんあるのはず。そのミスが心霊写真に見えたのではないでしょうか?
そのピンキリの部分から様々な表現手法が発達したのは確かなことなので、それが悪いことだとは僕は全く思っていません。むしろ心霊写真は「その表現手法の応用」だったのだというのが、僕の結論です。
さて、僕はオカルトもミステリーも大変好きだし、ムー民でもあったし、そのせいで難しい本や研究書やら、果ては心理学やら精神医学のやら、どんどん読むようになってしまって、周りの人(主に大人の人)を大いに困惑させてしまったりもしたのですが、今にして思えば、その大半は
ただのハッタリのみ
だったという結論に落ち着きました。そりゃあ周りの人も困惑するよねと納得。例えば構造主義とかポストモダンとかいう小洒落た言葉はまさしく言葉遊びであって、いい年したとっちゃん坊やたちのマウンティングでしかないと僕は思ってます。小学生が親に買ってもらったものを友達に自慢するレベル。
僕ちゃんこんなに物事を考えてるんだもーん(キリッ
実は昔からそういうレベルの言葉遊びはあったのでして、例えば中世のキリスト教において盛んに行われていた神学論争なんかはまさしくそれ。とはいえ、例えば普遍論争など、陳腐なようでいて実は本質をついた(と、僕は思っています)ものもあるのですが、やれサタンだの天使だの言い出したら、あとはもう「僕ちゃんの考えた最強のサタン」というお決まりのコースを辿って、どうしても陳腐化してしまう。
何言ってんの、この馬鹿どもは?
というレベル。
針の上で天使は何人踊れるか
なんていうのは、日々を生きる人間にとっては、本当にどうでもいい話ですが(実際にもこの逸話があったかどうかはよくわかってない)、どうでもいい話に対して、どれだけの理屈、というか屁理屈を勿体ぶって付けることができるか。それが構造主義とかポストモダン。まさに陳腐化。言葉遊び化。
ところで、この手の話は本当にたくさんあって、今で言うならハイパーインフレとか、新自由主義とか、そういう類の言葉もそうだし、多様性とか差別という言葉も言葉遊び化しています。
オカルトやミステリーの大半もまた、言葉遊び化してしまったように思えます。
オカルトという言葉は「隠されたもの」が語源だそうですが、隠されたものは案外陳腐なものだったんじゃないかと思うと、かなり悲しいものがあります。呪文を唱えただけで何かがどうにかなるなんて、そんなものはどこにもありません。漫画のように、どれだけ鍛えても鉄筋コンクリートを拳で破壊することはできません。
写真の工程のような「暗室内での作業」は、確かにいろいろなある種のロマンを作り出しましたが、暗室がなくなったら、何も起こらなくなってしまったのでして、いいことでもありますが、悲しいことでもあります。
ミステリーの肝は「わからない」ということ。
しかしわかってしまえば何と陳腐なものか、ということもたくさんあります。
共産思想も同様ですね。
共産主義は人類が生み出した最も悪しき思想だと僕は確信していますが(この主義のせいでどんだけ人が死んでるんだと)、そういう意味で言えばキリスト教やイスラム教もほぼ同じ。共産主義とキリスト教やイスラム教との違いは
共産主義は文字通り何も生み出さない
ことで、共産主義があったからこそ誕生した「人類に有益なもの」なんてものは全くありません。一部の権力者のために破壊に次ぐ破壊、殺戮に次ぐ殺戮をただただ行うだけのとことん歪んだイズムが共産主義なのです。
そしてこんなイズムを盲信している人間の特徴は、
全員が言葉遊び大好き
ってことですね。それこそ彼らは言いそうでしょ?ハイパーインフレとか、新自由主義とか、多様性とか、差別とか。平和とか戦争反対とか。暴力反対とか。権力の監視とか、反権力とか男女平等とか。自由とか平等とか。
全部、ただの言葉遊びでなんの役にも立たないどころか、何人がこの言葉遊びで死んでるんだと。
でも、何人死のうと知ったこっちゃないのです。自分がその言葉に酔って、この僕ちゃんはお利口さんだと自分にうっとりできれば世の中最高。
言葉遊びの世界に生きる人にとっては、現実なんてどうでもいいのです。