戦争で一番気になること

歴史はかなり好きです。僕のつれは歴史には全く興味がなく、僕の熱い熱弁をいつも、本当にいつも華麗にスルーしてしまうのですが、逆になぜそんなに興味がないのかが不思議でなりません。

過去の積み重ねの上に今の僕らがあるというこの感覚は、本当に不思議です。

この不思議さに僕はいつも魅了されるのです。そして過去にはどういうことがあったんだろうとなるのです。

  

さて、その過去については色々と疑問に思うことはあるのですが、その中の一つに

「死体はどこにいったのだろう?」

というのがあります。なんのこっちゃと思った方はこのまま読み進めてください。別に…という方はこんなブログなんて読んでても仕方ありません。僕ならツイッターを見ますね。読む専門のアカウントと、発言も行うアカウントも作っていますが、読む専門に関しては全くフォローフォロワーに無頓着なので、フォロワー数ゼロ。すっきり清々しいものです。フォローしたツイートを読んでるだけで相当時間を潰せます。

話を戻して、死体はどこに行ったのだろう?についてですが、歴史の中には多くの戦争が出てきます。戦争なので当然多くの人が死ぬわけです。僕が不思議なのは、その戦争で死んだ死体はどうなったのか?ということ。

戦争に関しては「どこそこの何々王が、なんとか国の誰それ王と戦った」ぐらいの記述しかなく、専門書を読んでいても、あくまでも会議室から指令を行なっているようなレベルの目線でしかありません。条約を結んだとか降伏したとか王が処刑されたとか。豊富な記述があっても、それはあくまでもいわゆる支配層の人の目線。

僕が興味を持つのは、そうではなくて、実際に戦場に行った人、その中から帰ってこれた人、帰ってこれなかった人の「包括的な」話なのです。ちなみにですが、勘違いして欲しくないのは、個人体験には実はあまり興味がないということ。

個人から戦争体験を話されても、それには個人の主観がどうしても入ってしまうし、その個人が共産思想に汚染されていたら、話す内容は「戦争は悲惨」「戦争反対」というプロパガンダと紙一重でしかありません。だから僕個人は実は個人の体験にはあまり興味がないのです。

そうではなくて、どのような形で参加して、そして戦場ではどんな体験をして、帰ってきたらちゃんと社会復帰できたのか。そういう包括的な視点に興味があるのです。また、戦場で死んだら実際にはどうなるのか?放って置かれて野生動物に喰われてしまうとか、あるいはこの戦争で死んだら共同墓地を作って埋葬したとか、そういうことが気になるのです。

そしてその中でも特に「古代から中世の世界」ではどうだったんだろうか?

というのがすごく気になるのです。

  

攻めてきて滅亡!

文字で書けばたったこれだけですが、実際には凄まじい殺戮があっただろうし、そうなると死体の数だってそりゃもう無茶苦茶あったはず。仮に埋めずに放置したとしたら、臭いでとんでもないことになってただろうし、野生動物の数もとんでもないことになっていたでしょう。

例えば十字軍なんて、殺戮しながらの大移動だったのであって、その際に死体はそのままだったのか、それとも、誰かがちゃんと埋めたりしたのか?そういうことがとても疑問なのです。

僕は英雄にはなれない。

戦場に駆り出されたら確実に殺される側です。

つまり、そういう目線で考えたら、戦場は死屍累々なわけで、これは凄かっただろうと思わずにはいられません。しかも死体は五体満足ではなく、ほぼ必ず何かが欠けてたりちぎれてたりなくなってたりするのです。

けど、放って置いたら死体は邪魔ですよね。十字軍の例で言うなら、せっかくエルサレムを奪ったのに、死体だらけだったら住むことができない。なら片付けるしかないけど、それはどのように行われたのか?というようなことにも興味があります。死体から金目のものは奪い去るのは当然のことなので、まんま放置っていうのはなかなかなかったとは思いますが、かといって金品を奪った挙句に丁寧にお墓に埋葬なんてするわけもないですよね。めんどくさいし時間の無駄だし。

今の時代は人権があるから、屍体であってもとても丁寧に扱われます。

人権がなかった時代はどうだったんだろう?

死んだらただの肉塊的に色々いじられたのかもしれませんね。僕は案外「人肉」って食べられてたのではないかと思っているのです。けど、そういう記述はあまりないのでして、そのあたりはやはり殺戮の中でも理性は働いていたのかな。大人数で敵地に攻め込むのはいいとして、食糧が無かった場合は、やっぱり食べたんじゃないかなと思うのですが。

もちろん過去には戻れないから、実際にはどうだったのかはわかりません。残された書物から類推するしかありません。

けど、それが興味深く楽しいのです。