失われた神話
旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫) 文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4480094113/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_XOUDFbRD32A9H
素晴らしく面白く、激しくお勧めしたい本です。
ところで、この種の本を読んでいて本当に残念に思うのは、当時存在していたであろう「現在知られていない人種や部族」に伝わっていたであろう神話や物語が消えてしまったことです。
例えば、旧約聖書には明らかに「他の民の物語と類似する物語」があるわけで(例、ノアの方舟と大洪水の話)、個人的にはギルガメッシュ叙事詩のみならず、当時のアジアやパレスチナやその周辺も含めた、広い地域のいろいろな民にバリエーション豊かな「似た話」があったのだろうと思うのです。
世界史などを学ぶまでもなく、当時はあまりにも簡単に戦争が起きていて(そう思える)、あまりにも簡単に多くの人が死んで、そしてあまりにも簡単に都市や文化が破壊されまくってたのですが、今では絶対に知る由もないその破壊されてしまった文化に僕は心惹かれるのです。
単純に読みたくはないですか?そういう失われた文化が育んだ物語や神話を。
今も昔も、神話や物語はあったし、それを聞いたり、あるいは読んだりして「心ときめいていた」人だってたくさんいたはずです。そして、それは様々なバリエーションが存在し、似たようでいて違い、違うようでいて似ていたはずです。
僕が若い頃に「物語元型」という言葉があって、僕はすごく得心したのですが、物語にも元型はあるはずだというのはまさしくその通りだと思うし、それは今日伝わっている神話や物語がそれを証明しています。まさにノアの方舟を引用しれば事足ります。
元型とは僕なりの解釈では「人類に普遍的な心理的なイメージを作り出す能力」のことで、元型そのものは不可知であるが、元型が作り出すイメージは認識可能というものです。
よく引き合いに出される話として、ロールプレイングゲームに登場する人物設定がまさに元型的イメージの投影だというものがあります。英雄、乙女、老賢者、魔法使い、悪魔など、これらは人類共通の元型的イメージの投影であって、誰であっても思いつく人物像ですよね。
同様に、物語であっても、同じような「共通のイメージ」がある。それが物語元型と言われるものです。英雄の冒険談はまさにどの物語であっても、旅立ちがあって、困難があって、勝利またはなんらかの素晴らしいものの獲得があって、そしてどこかに帰るという流れを踏襲するのですが、面白いように古今東西において共通しています。
違うのは、その民の文化レベルによる物語の細部の組み立てであって、そこがまた面白いのです。英雄がイケメンではなくなんの取り柄もない(物語の開始時点では)ただの子供だとか。困難のバリエーションとか。
そういうのを読み比べたら楽しいだろうなと思うのです。
そんなことを思いながら、昔の、例えば旧約聖書を読むと、本当に楽しいのです。
僕は古今東西の宗教に関してはどれ一つとして信じてはいませんし、はっきりいえば無宗教ですが(注、無神論者ではないです)が、学問的な興味としては、宗教に大いに興味があります。単純に読んでて楽しいのです。
そして、今日まで受け継がれている神話や物語がこれだけ面白いのだから、消えてしまった文化が育んだであろう神話や物語だってすごく面白かったのではないか。そもそも文化が淘汰されたのではなく、戦争などで破壊されたわけだから、価値が低くて消えていったわけじゃないし、と思うと、本当に失われてしまったことが残念でなりません。
とはいえ、おそらくは形を変えて今日の神話や物語に潜んでいるだろうとも思うので、そういうことを考えると、それはそれですごくワクワクするのです。